コミケを風疹から守り隊

2010年9月15日水曜日

公務員組織の功罪について

このブログを見に来られる方の興味とは多少方向性の異なる話題かもしれませんが、ちょっと書いてみます。
最初にお断りしておきます。私はここで特定の思想信条に肩入れするつもりはありません。以下の文章では自らの信じるところを述べていますが、それ以外の考え方を必ずしも否定するものではありません。
従って、冷静な議論であれば(時間があり、かつ、私の気が向いた場合に限り)お受けします。気まぐれですから無視するかもしれませんし、途中で投げ出すかもしれません。あるいは何ヶ月も何年もお待たせするかもしれません。少なくとも喧嘩腰であったり揶揄する様な態度であれば、無視する確率は確実に高まります。
予め御了承ください。

さて、今回のきっかけは @kamezonia さんがまとめられたTogetter

公立病院の医師から見たお役所(公務員組織)を読んだ事です。


結論から言うと、ここで述べられている @slummy77 さんの見解に概ね同意します。
私も公立病院での勤務が結構長かったし、他の同僚に比べると行政職(いわゆる事務方と言うか、お役人)との交流も多めだったと感じています。そうした経験を踏まえた上で @slummy77 さんと同じ様な感想を抱いています。

私なりに、まとめ直してみます。
まず、公務員組織は個人に権限を持たせる構造になっていない。従って、自らの裁量で仕事するというのが著しく困難である。その為、ひとりひとりは決して悪い人ではない(個人的に良い人と悪い人との比率は、多分、他の職種と大差ないと想像する)けれども、組織の中で生きていくうちに、大部分の人は体制に順応したり開き直ったりする。ごく僅かな例外だけが、体制の隙間を縫って自らの裁量で仕事をする方策を見出すが、本当にそれは例外である。

この様に書いてみると、あたかも公務員個人に権限を持たせてもらえない事が諸悪の根源みたいに響きますが、現状がこういうシステムになっているのにも、ちゃんと理由があります。
公務員は、基本的に地位も身分も安定しています。そういう立場の人に権力を持たせるのは危険である、という考え方が基本にあるのでしょう。「権力はナマモノであり、極めて腐敗しやすい」のは、歴史が教える経験的事実です。ですから、同じ人に継続して権力を持たせる事は、なるべく避けるべきなのです。
という訳で、基本的に安定して働き続けられる公務員は権力を持ちません。Togetterの最後の方で @kamezonia さんが呟かれていた様に、良く問題になる「定期的な異動」にも、そういう側面があるのではないかと推測します。お役人がずっと同じ場所にいると、その存在自体が眼に見えない権力を持つ様になってくるからです。

では、誰が権力を持つのかと言うと、それは民意により交代させる事が可能な人です。地方自治体で言えば首長(知事、市長、町長、村長)であり、国で言えば総理大臣です。総理大臣は国民が直接選べませんが、国民が選んだ国会議員の投票により決まるので、間接的に選んでいると言えます。
以上より、公務員組織に対して希望通りに動いて欲しいと思ったら、首長選挙や国政選挙を通じて自分の考えに近い人に当選してもらえば良い、という事になります。
しかし(多くの人が感じている様に)それはあくまで「タテマエ」に過ぎません。実際には全然そうなってない。どうしてそうなっちゃうのか。

最も大きな理由は、首長や総理大臣の意向がなかなか行政に反映されないという点にあります。これには更に理由があります。行政組織は巨大であり全貌を把握するのは困難です。失礼な言い方ですが、首長や政治家は選挙に当選するのが最大の関心事(だって「落ちればタダの人」ですから)であり、当選した後にどう組織を運営していくかの具体策については、はっきり言って当選してから考える部分の方が多いのではないでしょうか。
役人出身の人が首長や政治家に選ばれる例が結構ありますが、これは本人と行政組織の双方にとって仕事がしやすいという利点があります。しかし、もしそういう理由でしか選べないとすれば、それは、何とも窮屈な「民意の反映」であると感じます(勿論これは、逆の立場の人を選ぶ場合にも言えます)。
一方で、行政組織には継続性が求められます。これにも功罪はありますが、利用する側からしても役所の対応がコロコロ変わっては困る部分も多いと思います。ですから、なかなか「変えよう」という話にはならず、どうしても「例年通り」「前例を踏襲」という方向に行ってしまいやすいのです。
そうこうしている間に、こうした状況の間隙を縫って、公務員組織の上の方にいる人達が事実上の権力を握ったりする場合もあり得ますので、それが更なる問題を引き起こしたりします。

ちょっとゴチャゴチャしてきたのでまとめますが「首長や政治家はきちんと選ばなければならない」けれども「ちゃんと選んだからといって上手く行くとは限らない」という、何とも萎える話になってしまいます。
これ、敢えて言うならば「現在の行政機構には歪みが出ており、もはや当初の設計通りに作動しているとは言い難い」という事だと考えます。やはりここは権力を分散して、公務員であっても地位に応じた権限を持てる様にする(しかし余分な権限を持ち過ぎない様にする)事が必要かもしれません。
これはとても大変な事ですが、政治を少しずつ変えていけば、何とかなるかもしれません。

そこで、最後に「政治を変えるにはどうしたら良いのか」を考えてみます。
勿論「選挙における投票行動」を通じて変えていくのが基本です。しかしそれだけで良いのでしょうか。
選挙における投票は国民の権利であると同時に義務でもあります(基本的に権利と義務とは表裏一体のものです)。しかしそれだけが権利と義務の全てではありません。

我々は全て、社会の構成員です。我々は誰でも、自らが属する社会の一員として(自らの観点から見て)社会がより良くなる様に求める権利があります。しかしそれは同時に、社会がより良くなっていく様に(自らの出来る範囲で)努力しなければならないという義務でもあります。
具体的に何をすべきかというのは、それぞれの立場によって異なります。繰り返しになりますが「自らの観点から見て良くなる様に、自らに出来る範囲で行う」のですから。

ただ、そうは言っても「今はとてもそんな事はやっていられない」「生きていくのに精一杯で、そんな余裕は無い」という方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そういう場合でも、誰にでも出来る事が、少なくとも一つ、あります。
それは「考え続ける事」です。
たとえお金が無くても考える事は出来ます。たとえ時間が無くても、寝る前に考えた疑問に対して目覚めた時に答えを思いつくという事もあります。常に「どうしたら良いか」を考え続ける事によって、状況が変化した際にすぐに対応が出来る様になります(スポーツにおけるイメージトレーニングと似ていますね)。
ですから、どうか皆さん、考える事を止めないでください。場合によっては、一旦結論が出た様に見えても、そこで止めずに更に考え続ける事も必要でしょう。

「なんだ、結局、結論は自己責任に丸投げかい!」なんて言わないでくださいね。我々の属する社会をどういう方向に持って行きたいかは、我々自身で考えるしかないのです。もし考える事を放棄すれば、それは結果として「どんな社会になっても構わない」という意思表示をしたのと同じ事になってしまうのですから。

(余談)
実は @slummy77 さんの事は、個人的に存じ上げています。私は本名を出しておりませんので先方からは解らないと思いますし、もう何年もお会いしていないのですが「相変わらず頑張っておられるなぁ」と感じました。

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2 件のコメント:

  1. 個人的には2年でコロコロ転勤させるのをやめて、個人に権限と裁量の余地を増やす必要があるのかなと思います。そうすると当然不正が増える(と考える人が多いでしょう)ので、そこは性悪説に基づいて徹底的な透明化と公開、責任の所在の明確化、問題が生じた際には単なる犯人捜しでなく制度レベルでの改善を目的とした調査とその結果の反映とかが求められるでしょう。
    大胆な行動をさせるには、今の事務次官レースのような、一度の失敗で永久に取りこぼされるような減点主義的出世競争では無理があるので、その辺も問題かなぁ。
    うーん、でもそれ突き詰めると、組織内では出世して無い特定業務のベテランを正しく処遇しないと成り立たないから、逆に年功序列的賃金でないとうまくまわんないような気もして混乱してきましたw

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  2. こんにちは、Poisonous_Radioさん。コメントありがとうございます。

    >個人に権限と裁量の余地を増やす必要があるのかな
    私もそう思います。それをしない限り、仕事にやり甲斐を見出せないので歯車に甘んじるor責任追求がなされないのを悪用して裏ワザで仕事を進めようとする、のいずれかの道しか無い様に思えますので。

    >減点主義的出世競争
    出世競争は熾烈なのだと思います。ただ、差をつける基準が無いから減点主義にならざるを得ないのが現状なのだと考えています。
    成果主義が必ずしも全面的に良いとは思いませんが、もう少し結果で評価する仕組みを導入すべきだと思います。

    >組織内では出世して無い特定業務のベテランを正しく処遇しないと成り立たない
    これもその通りだと思います。確かに現状では同じ業務をずっとやっている人は出世しませんが、それでも給料は上がっていきますね。
    ただこのやり方の問題点は、単に同じ事を毎年機械的に繰り返しているだけの人と、熟練したベテランとを区別できない、という点にあります。現状では専門職の専門性を一般職が評価するのは難しいのですが、ここにもやはり、その人の熟練度とか組織への貢献度みたいなものを評価する仕組みを導入できれば、と思うのです。

    まぁ、言うのは簡単ですが、人を評価するというのは本当に難しいですね。だから現状の評価基準は比較的単純と言える訳ですが、これをどう変えて行けば良いのか。
    やはり、私にも簡単に答えは出せません。

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