コミケを風疹から守り隊

2010年9月25日土曜日

S01-01:「科学とは何か」という難問

初回公開日:2010年9月12日
最終更新日:2010年9月25日

皆さんの中で、科学という言葉を聞いたことの無い人は、まずいないでしょう。そして、このブログを読まれる程の方でしたら、科学が我々の生活に欠くべからざるモノであることも(ごく一部のへそ曲がりの御仁を除けば)殆どの方には賛成してもらえるものと思います。
そう、例えば、インフルエンザを予防するのも、がんを治療するのも、科学によってもたらされた結果と言えます。もっと身近な例を挙げれば、パソコンもインターネットもカーナビも、日食の予想が出来るのも、新幹線が走るのも、みんなみんな科学の力があればこそ、ですね。

でも、改めて「科学ってなんだろう」と尋ねられたら、なんと答えれば良いのでしょう?
はい、そこのアナタ。
「えーと、その、何だ。白衣着た科学者が試験管振ったり黒板に数式書いたりして、何か研究とかしてるんだろ?」
そう、イメージとしてはそんな感じですね。でもそれは、あくまでイメージに過ぎません。

実を言うと「科学とは何か」(言い換えれば「何が科学で何が科学でないか」)というのは、とても難しい問題です。何しろ、それを専門に考える「科学哲学」という学問があるくらいですから。
ところで「難しい」とはどういう意味でしょう。一体、何が「難しい」のでしょうか。
一言で言うならば、科学と科学でないもの(非科学)との間に明確な境界を引くのは事実上不可能なのです。これを、白黒つけられないという意味で「グレーゾーン問題」と呼んだりします。

「え、不可能なの?じゃあ、科学哲学なんて言っても、意味無いじゃん」などと言ってはダメです。完璧に白黒つけられないとしても、グレーの範囲を少しでも狭くしていく事は出来るのですから。
そして、更に重要な事は、たとえ「グレーゾーンの存在により白から黒までが境界無く連続的に変化する」のだとしても、それでも真っ白と真っ黒とは明らかに違う、という事です。

要するに「科学と非科学との間に明瞭な境界線を引く事は出来ない」からと言って「科学と非科学は区別出来ない」という事にはならないのです。だから「明らかな科学」と「明らかな非科学」を区別する事は、きっとアナタにも出来る筈。

ここはひとつ、なるべく難しい話には踏み込まず、ある程度確実に言える事だけを使って「科学とは何か」を考えてみましょう。これをきちんと考える事で、科学と「科学でないもの」とを見分けるのが少しでも楽になると思います。
この「ある程度確実に言える事」について、もう少し述べましょう。「科学とは何か」というテーマで話をすると、どうしても科学と非科学のボーダーライン上にあるもの(つまりグレーゾーンのもの)を話題にしがちです。それは勿論、決着が付き難いからこそ議論の対象になる訳です。それに比べるとどうしても自明な事は議論にしづらいです。
しかしここでは、自明な事から始めて考察を進めていくのを目的にしていますので、少なくとも最初のうちは、あえてグレーゾーンには踏み込みません。即ち「○○は科学である」と書けば、かなり厳しい見方をする人でも科学と認める筈だという意味ですし「××は科学ではない」と書けば、どれほど贔屓目に見ても科学とは認められない、という意味です。
具体例を挙げておきましょう。まず、明らかに科学であると認められるものは、いわゆる自然科学です。一方、明らかに科学でないものには色々ありますが、ここでは宗教とオカルトを挙げておきましょう。

ただ、ひとつだけお断りしておかなくてはならないのですが「科学である・科学でない」というのは、単に事実を述べているだけであり、そこに価値観は含まれていないのです。つまり科学であるというだけで価値があるとも言えませんし、科学ではないからといって価値が無いとも言えません。

ちなみに(御存知の方が大部分だとは思いますが)「科学じゃないのに科学の様なふりをするもの」の事を「ニセ科学」と呼びます。「似非科学」とか「疑似科学」という言葉を使う人もいます。それぞれニュアンスは微妙に異なるが、とりあえず、あまり細かい事は気にしなくても大丈夫。
ニセ科学は、しばしば社会に有害な影響を及ぼします。このブログではニセ科学についてもボチボチ考えていく予定なので、是非そちらの記事もご覧ください。

(以下は余談です)
意外かもしれませんが、私自身は、一般的に言って「○○」と「非○○」との間に明瞭な境界線を引く事は出来ない、という信念を持っています。例えば、生と死、善と悪、男と女、etc・・・どれも通常は明確に分けられます。しかしギリギリの境界を見ていくと、必ず曖昧な部分があります。
こうした考え方を、私は勝手に「グラデーション主義」と呼んでいます。
という訳で、本日の豆知識。
「PseuDoctorは、グラデーション主義者である」

トップページに戻る

4 件のコメント:

  1. こんばんは、初めてお邪魔させていただきます。
    たまです。
    kikulogでもいつもPseuDoctorさんのコメント楽しみにしております。
    ブログ、開設されていたのですね!
    ブックマークさせていただきますね~。

    あの・・PseuDoctorさんは、萩尾望都さん、
    お好きでしょうか?

    >意外かもしれませんが、私自身は、一般的に言って「○○」と「非○○」との間に明瞭な境界線を引く事は出来ない、という信念を持っています。例えば、生と死、善と悪、男と女、etc・・・どれも通常は明確に分けられます。しかしギリギリの境界を見ていくと、必ず曖昧な部分があります。
    こうした考え方を、私は勝手に「グラデーション主義」と呼んでいます。

    すいません、長い引用となってしまいましたが、上記の文章を読んだ時、萩尾さんの作品群が私の中で浮かび上がってきました。
    萩尾さん、私大好きなのですが、彼女の作品も様々なグラデーションを奏でているなぁ・・と。
    彼女は良く、「移動する性別」のキャラクターを登場させるのですが、それもあって、思い浮かんだのかもしれません。

    今は職は離れておりますが、病室には白黒はっきりしない
    混沌とした事がつまっているなぁ・・と思います。

    それは、生と死だったり、ひそやかな家族の秘密だったり。
    できれば、それはある意味混沌かもしれないけれど
    そのグラデーションを受け止められるタフさを持ちたいなぁ・と常々思っていたりします。
    タフでいるために「科学」の力を借りられたら、いや学べたら
    とも思っています。

    ですので、また記事を楽しみに寄らせていただきますね。
    急に寒くなってきたので、体調を崩す方が周囲に続出しております。PseuDoctorさんもお体ご自愛くださいませ。

    返信削除
  2. こんばんは、たまさん。
    ようこそいらっしゃいました。

    ご心配頂いた通り(?)少々体調を崩しておりまして、お返事が遅くなりました。

    さて、私は基本的に漫画好きですので、萩尾望都さんの作品も(沢山ではありませんが)幾つか読んでいます。一番好きなのは、月並みながら「11人いる!」ですね。そう言えば、確かにフロルも「性別未分化キャラ」でした。

    さて、ここで言う「グラデーション主義」とは、一言で言うと「二分法の罠」に陥らない様にしよう、という事です。二分法とは「白か黒か」「敵か味方か」という風に「AでなければB」という考え方をする事です。これは思考の整理に役立つ場合もありますが、使い過ぎると害の方が大きくなってくると考えています。
    この辺の話は以前Twitterで呟いた事がありますので、宜しければ、私のTwilogの中の
    http://twilog.org/_pseudoctor/date-100518
    あたりもご覧頂ければ、と思います。

    返信削除
  3. こんにちは、pseudoctorさん。
    ツイッターも拝見しています。
    お忙しそうですね。

    ご紹介してくださったTwilogの該当記事も拝見して、感想を書きたかったのですが、バタバタしていました。
    文章も、書いては消し、書いては消しで、中々、まとまらず・・・。
    pseudoctorさんの文章はとても丁寧で、読みやすく
    はっ、とさせられて、刺激されます。
    インスピレーションを与えてもらっていると思うのですが
    中々、文章の「芽」が発芽してくれなくて・・・。

    私の考えは、本当に拙いのですが、
    グラデーション主義に必要なものは、想像力と常に自分の価値観や自我と向き合うタフさなのかなぁ・・と考えています。

    二分法についてはpseudoctorさんもTwilogでもお書きになっているように、
    >二分法の問題点は2つある。1つは「AとBの連続的な変化を無視する」点である。

    連続的な変化ということは、その変化を内包しうる、キャパシティをもたないと受け受け入れがたいものかもしれません。
    ホメオパシー関連など、トンデモなものに染まってしまいがちな方は、変化している事、流動的なこと、ある意味不安定な状態に弱いとと言えるのかなぁ・・・と。

    不安定な答えのない状態、考え続ける状態というのは、
    確かにしんどいです。
    二つの相反するものを見つめるというのは、自分の内部と向き合う事を余儀なくされるように思います。
    しかし、考えたり調べたりする事を放棄して、二分法などのわかりやすい答えを求めてしまうと・・・
    (もちろん、二分法の明快さも必要な時がある事も頭に入れておきたいと思っています)
    間違ったものを掴んでしまうのかなぁ・・・などと考えたりしています。

    pseudoctorさん、空芯菜お好きなのですね!
    私もあのしゃきしゃきの歯ごたえ、大好きなのです。
    美味しいですよねぇ。近隣の農家さんが手広く栽培しているらしく特定の大手スーパーに行くと置いてあるのですよー。
    そこに行くと、毎回多めに買ってしまいます。
    にんにくと味つけは本だしとささっとお醤油で、和風炒めも
    美味しいです~☆

    はっ、本題とずれてしまいました。すみません。
    それでは、撤収させていただきますー。

    返信削除
  4. こんばんは、たまさん。コメント有難うございます。

    仰る通り、二分法とグラデーション主義は一長一短です。必ずしもグラデーション主義の方が優れているとは言えません。一言で言うと、グラデーション主義は、頭が疲れるのですね。
    ですから場合に応じて使い分けられれば良いのだと思っています。ただ、どうしても我々は解り易い二分法の方によってしまいがちな傾向があるのだと考えています。そこで、それを自らに戒める意味でも、グラデーション主義を主張している、といったところです。

    空芯菜はおいしいです。ただ、先日庭から採ってきた奴は少々育ち過ぎで、いささか硬かったのが残念でした。

    返信削除

コメントは承認制です。投稿してもすぐには反映されません(平均して何日か、時には何週間もお待ち頂く場合もありますので、どうか御容赦ください)。
コメントを投稿される際は、ハンドルを設定してください。匿名投稿も可能ですが、これはブログの仕様です。
お名前の入力をお願い致します(勿論、本名である必要はありませんし、URLの入力も任意です)。