コミケを風疹から守り隊

2011年5月25日水曜日

P01-01: ニセ科学の(一応の)定義

初回公開日:2011年5月25日
最終更新日:2011年5月28日

1.ニセ科学とは

ニセ科学の定義に関しては、ニセ科学批判Wikiの中にも書きましたので、そちらを見て頂いても良いですし、そのWikiを参考に書かれたはてなキーワードを参照頂くのも良いと思います。でもまあ、折角ですから、ここではもう少し噛み砕いた説明を試みてみましょう。

ニセ科学とは「科学ではないのに科学を装っているもの」です。つまり「科学ではないもの」の中で、特に「科学を装っているもの」をニセ科学と呼ぶのです。
これはタイトルにも書いた様に「一応の」定義です。ですから、ニセ科学と呼ばれているものを違う名前で呼んでも構いません。別に「ニセ科学」という言い方にこだわる必要はなく、疑似科学でも似非科学でもウソ科学でも、好きな様に呼べば良いのです(そう言えば「コミックサイエンス」なんてのもありましたねぇ(遠い目))。
但し、ここで述べています通り「ニセ科学」という用語に関しては、既にある程度、意味内容の検討が為されています。ですから、敢えて別の用語をお使いになるのであれば「自分がその用語を選択した動機や、その用語に込めようとした意味」などについても、多少は意識して頂きければ、と思っています。
もし、自分が使っている用語の意味内容について全く無頓着になってしまうならば、その場合には、もはやまともな議論は望めなくなってしまうでしょう。
そう、例えば「メルトダウン」という言葉の様に。

更に、この定義を使うにあたっては、幾つかの注意点がありますので、以下の2.と3.で述べます。

2.ニセ科学の定義は実態に合わせて決められた

まず、この定義は「先に定義を決めておいて、その定義に当て嵌まるものをニセ科学と呼んで批判している」のではありません。そうではなくて「これはどう考えてもニセ科学だろう」という個別の事例を幾つも集めてきて見比べてみたら、共通点が見い出せた。その共通点を端的に示したのが、上記の定義だという訳です。
その意味では、これは定義と言うよりはむしろ「ニセ科学という言葉を説明したものである」と考えた方が解り易いかもしれません。

3.ニセ科学を定義する事の難しさ

次に、定義自体の曖昧性があります。これは更に3つに分けられます。

1つ目は「科学である/ない」という判定は必ずしも容易ではない点です。この難しさに関しては、既にS01-01の記事で触れています。そしてその中で「科学と非科学の境界が明確でなくても、明らかに非科学であるものを決める事は出来る」という意味の事を書きました。この点に関しては、後ほど具体例を挙げます。

2つ目は「装う」という言葉の難しさです。どういう条件を満たせば「装っている」とみなせるのでしょうか。ここで私は、条件を厳しめに設定したいと思います。何故なら、私がニセ科学を批判する主要な目的の中に「ニセ科学の蔓延による社会への悪影響を少しでも減らしたい」というものがあるからです。
具体的には「科学を装う意志があるとみなせる」あるいは「科学だと誤認してしまう人が無視出来ない数で存在する」の、いずれか片方を満たした時点で「科学を装っている」と判断します。

3つ目は、1つ目と2つ目の複合型です。「科学である/ない」は、真っ白から真っ黒まで連続したグラデーションを形成しています。その場合に「科学ではないのに科学を装っている」というのは、典型的には「真っ黒なものを真っ白と言い張る」事ですが、必ずしもそれだけではないのです。
「真っ黒なものをグレーと言い張る事」や「グレーなものを真っ白と言い張る事」もニセ科学に含まれると考えます。実際には真っ白と真っ黒の間は連続的に無段階に変化しているので「明らかに濃いグレーを明らかに薄いグレーと言い張る」など、無数のバリエーションがあり得ます。
という訳で、冒頭に述べたニセ科学の定義は「実態と主張(もしくは見掛け)との間が、明らかに掛け離れているもの」と言い替える事も可能だと考えます(もしかしたらこちらの定義の方がより正確かもしれませんが、逆に表現としては解り難くなっているきらいもありますね)。
そして、いずれの定義を使った場合でも、ニセ科学かどうかの判定に際しては、個々の具体的な例に応じて判断する必要があります。

2011年5月11日水曜日

P01-05: ニセ科学に嵌る心理~私達はなぜ放射線を恐れるのか?~

初回公開日:2011年5月11日
最終更新日:2011年8月24日
(4.と5.を加筆修正しました)

東日本大震災と福島第一原発の事故から(この記事の初回公開時点で)丁度2ヵ月が経過しました。しかし、今もって、これらの話題を聞かない日は1日もありません。
現在も、多くの人々が放射線に対する不安と恐怖に苛まれていると感じます。
この記事は、直接「安全だ」「危険だ」という議論をするものではありません。しかし「ニセ科学に嵌る心理」を分析する事が、皆さんの感じている放射線への不安に対して、少しでも役に立つかもしれません。そういう気持ちも込めて書きました。

最初に、結論を述べます。
私は「ニセ科学に嵌る心理は、多かれ少なかれ誰でも持っているものであり、そしてそれは、放射線を恐れる心理とも通じるものがある」と考えています。
では、その様に考えるに至った思考の道筋を、以下に記してみます。

1.恐怖と不安の違い

まず考えてみたいのは「恐怖」と「不安」の違いについてです。
皆さんは、この2つがどの様に違うと思いますか?
それとも、そんなのは、考えた事も無いでしょうか?

一言で言うと、対象が明確である場合を「恐怖」と呼び、対象が不明確である場合は「不安」と呼びます。つまり「不安とは、対象の無い恐怖である」と言えます。
もう少し詳しく述べるならば、恐怖とは、現実に存在し、既に確定している脅威に対する感情であり、不安とは、未確定もしくは未知の脅威に対する感情であると言えます。
まず、この違いを良く覚えておいて下さい。

2.恐怖と不安、どちらが対応し易いか

次に、この2つのうち、どちらがより対処し易いかを考えてみましょう。
異論はあるかもしれませんが、私見では明らかに「恐怖」の方が対応が楽であり、不安の方が対応が難しいと考えています。その理由は、まさに上述した「対象が明確であるか不明確であるか」という違いによるものです。つまり「対象が明確であるならば対応手段もとり易いけれど、対象が不明確だと、どうやって対応すれば良いのか解り難い」という事です。