コミケを風疹から守り隊

2014年6月11日水曜日

「リスク比較による意思決定」のやさしい解説

初回公開日:2014年06月11日
最終更新日:2014年06月11日


1.人生は選択の連続です

私たちは、日々の暮らしの中で無数の選択(意思決定)をしながら生きています。
ちょっと例を挙げてみましょう。
朝、お布団の中で「もう起きなきゃ…でも、あと10分、いやあと5分だけでも寝ていたい…」そう、もう起きるか・まだ寝ているか。これも一つの立派な選択です。まぁ、いつまでも寝てはいられないので、いつかは頑張って起きますよね。何とか準備ができたら、今度は通勤です。通勤の際にも「いつもの道を行くか、抜け道を通るか」という選択をしたり、信号が変わりそうになったら「手前で止まるか突っ込むか」という選択を(歩行者の場合でも運転している場合でも)している筈です。こうした様々な選択を乗り越え(笑)、ようやく職場に着きました。そしたら今度は「どの仕事から手を付けるか」という選択をしたり「お昼には何を食べようか」という選択をしたり…
この様に、私達は常に大小様々な選択を繰り返しながら生きています。某企業のCMに「あなたは、あなたが食べたもので、できている」という台詞がありますが、言うなれば「あなたの人生は、あなたの選択の結果で、できている」と言えるのです。

この様に、私達の人生は常に選択の連続である訳ですが、通常、これらの選択は半ば無意識に行われ、ある程度大きな選択でない限り、私達の意識に上って来る事は少ないです。
そこで今回は、改めてこれらの選択がどの様な基準によって行われているのかを、考えてみたいと思います。

2.選択の際には「リスク比較」を行っている

通常、私達が「選択」を行う際には、選択肢の比較を行っている筈です。だって、比べなければ選べませんから。まぁ確かに、運を天に任せてコインやサイコロや鉛筆転がしで決める場合もあるでしょうが、でもそういう場合だって実は「自分には甲乙付け難い」という比較の結果があるからこそ、運を天に任せるという「意思決定」を行った訳ですよね。

という訳で、無意識かもしれませんし小さなものかもしれませんが、どうやら選択に際しては何らかの比較をしているらしい事が解りました。結論から言うと、こうした比較を「リスク比較」と呼ぶ事にしたいのです。
では具体的にどういうものなのか、そして何故それが「リスク」比較なのかを、例を挙げて考えてみる事にしましょう。なるべくシンプルで解り易い例として「ランチの選択」あたりにしてみます。メニューにAランチとBランチの2つがある時に、どちらにするかという選択です。おそらく貴方の頭の中にあるであろう状況を、整理して書いてみると、きっとこんな感じになるでしょう。

(医学的・栄養学的にはあまり妥当でない表現も含まれていますが、ここでは例としての解り易さを優先させたと思ってください)

この様にして、それぞれの選択肢の利点と欠点を列挙すれば、これまで漠然と考えていた内容が明確になると思います。ここで、改めて表を見てみると、対角線上にあるマス同士、つまり「Aランチの利点」vs「Bランチの欠点」や「Aランチの欠点」vs「Bランチの利点」は、それぞれ同じ事を反対側から言っているのが解ると思います。つまり上記の表は一見2×2で4マスある様に見えますが、半分の2マスにしても全体の情報量は変わらない筈です。違う言い方をすれば利点同士、もしくは欠点同士を比較すれば良い訳です。
どちらを採用しても良いのですが、利点同士の比較だとどうしても評価が甘くなりがちで結局決め難い、みたいになりがちな気がします。そこで、ネガティブな様ですが、欠点同士を比較した方が意思決定には役立つでしょう。
そうすると、こんな具合になります。


という訳で、もう皆さんお解りの事と思いますが、これが「リスク比較」の簡単な例です。それぞれの選択肢の欠点(リスク)を列挙して比較している、という意味ですね。
人生における大小さまざまな選択の際に、意識してリスク比較を行える様になれば、それはきっと、意思決定の強力な助っ人になってくれる事でしょう。


3.判断基準は変化しうる

前項の様に「意識して行うリスク比較は意思決定に有用である」のですが、リスク比較の結果は常に同一ではありません。違う人が行えば当然結論は異なる場合がありますし、同じ人が行ってさえ、結論は変わりえます。
それは一言で述べれば「判断基準の変化」によるのですが、そうした変化をもたらす要因は幾つかあります。要因の1つは、状況の変化です。

先のランチ選択の例で言えば、お昼休みの時間に余裕がある場合には、Aランチの「時間が掛かる」という欠点は相対的に小さくなります。また、給料日直後であれば、Bランチの「高い」という欠点は小さくなります。
この様に、たとえ同じものを比較していても、状況の変化により結果は様々に変化します。ですから大切なのは「その時の状況における、自分自身の価値基準で判断する」事です。言い換えれば「他者の基準や情報は大いに参考にすべき、だけど最終的に判断するのは自分」なのです。
何故なら、貴方の人生は貴方のものだからです。

立場を代えて考えてみましょう。
もし、他者の人生を思い通りに操れるとしたらどうでしょうか。きっと、それは物凄い快楽の筈です。流石に「思い通り」とまではいかなくとも、少しでも他者の人生に影響力を行使できるとすれば、それだけでも相当な快感が得られるでしょう。
なので、そうした快楽を追及する為であれば「たとえ悪魔に魂を売っても構わない」とすら思う人が存在するとしても、別に不思議ではありません。
なので、そういう人(に運悪く遭遇したとしても、そこ)から身を守る為には、貴方の人生を守る為には「最終的には自分で決める」という態度こそが重要なのです。
それは確かに、孤独で辛い事です。誰も貴方の決断の責任を代わりに引き受けてくれないのですから。「自己責任」という言葉が胸に突き刺さるかもしれません。
でも。
それでも、成熟した大人なら、最終判断を他人に委ねるべきではありません。繰り返しますが、他者を参考にするのは、幾らでもして良いのです。それでも最終的には自分で決める。もしも、どうしても決められないのなら、暫定的な判断に留めておいても構わないし、保留にしておいたって構わないのです。そう思えば、少しは気が楽になるかもしれませんね。

いずれにしても大切なのは「コントロールを手放さない事」なのですから。


4.確率の問題

上記の例では問題になりませんが、実際のリスク比較では、しばしば確率が問題になります。
「確率が問題となるリスク比較の例」として解り易いのは、おそらく「降水確率」でしょう。例えば、降水確率60%の時に傘を持っていくかどうか。この際には、傘を持つ場合の欠点と傘を持たない場合の欠点とを比較するのですが、それぞれの場合に雨が降る確率・降らない確率を加味する必要があります。
ちょっと、やってみましょう。


ここで注意すべきなのは、置き忘れる確率は40%ではないし、あの娘に入れて貰える確率・入れてあげる確率は共に60%ではないという点です。雨が降らなかった時に限り置き忘れる可能性が生じる(厳密ではありませんが)、また雨が降った時に始めてあの娘に入れて貰える・入れてあげる可能性が生じるという意味です。ですから上の表では降らなかった際に置き忘れる確率をα、あの娘に入れて貰える確率をβ、入れてあげられる確率をγで表しています。実際にこれらの確率を算出するのはなかなか困難であり、そこにリスク比較の難しさの一端があるのですが、考え方としてはそういう事です。

と言ってもやはり、考え方自体も難しいかもしれませんね。
どうしても、確率の考え方が入ってくると難しく感じられるのは、良くある事です。慣れの要素もかなりありますので、ぼちぼち考えてみてください。
それでも難しいと思われる方は(現実のリスク比較とは異なりますが)思考実験として、α・β・γの全てを100%であるとして考えてみれば多少は解り易くなるかもしれません(あるいは、全て50%としてみるのも1つの考え方です)。

ちなみに、上記の点を差し引いても、このリスク比較は完全ではありません。皆さんが各自で修正したり補完したりしてみるのも良いと思います。


5.意思決定に際して最も重要な要素とは

ここまで、リスク比較の便利さと、自分自身の基準で判断する事の重要性を述べてきました。しかし、実は、意思決定に際して最も重要であるにも関わらず、ここまで意識的に述べるのを避けてきた要素があります。
それは、何か。

それは、感情です。

再び、ランチ選択の例に戻ってみましょう。
ここまで述べてきた様な「冷静な」リスク比較の判断を一瞬にして打ち壊す強力な動機、それだけの力が、感情にはあります。
例えば、こんな感じです。


あるいは、こうです。


つまり、他の全ての要素を圧倒して意思決定に強い影響力を及ぼすのは、強い感情であると言えます(改めて見返してみると、傘の例にも感情の要素が含まれていたのが解るでしょう)。
これは考えてみれば当たり前の話で、そもそも意思決定とは「一体、貴方自身はどうしたいの?」という問いに対する答えである筈です。ですから感情に左右されるのは当然の結果でもあるのです。

但し。
だからといって「結局、重要なのは感情なんだから、もっともらしく情報を並べてリスク比較なんてやってみせたって無駄なんだよ」なんて事にはなりません。決して。
確かに、強い感情は冷静なリスク比較の結果を圧倒します。でも、だからこそ、感情に振り回されるのは危険です。最終的に自分の感情を加味して判断を下すのは当たり前というか、本来そうすべきです。しかしその為には、その前の段階で、既に解っている事と未だ解らない事、理屈で対処出来る事と感情で決めなければならない事を、それぞれ(出来る限り)分けておくのが重要です。そこを上手く分けられないでいると、折角リスク比較をしようと思っても、それぞれの項目がゴチャゴチャになってしまい判断が極めて難しくなってしまうからです。
増してや、そこに不必要な感情の揺らぎが加わってしまえば、更に判断は難しくなり、その感情の揺らぎのみで判断を下してしまう危険性すらあります。なので、不安定な情報や誤った知識は感情の揺らぎを増幅させる危険性があるが故に注意すべきなのです。

例を挙げましょう。
例えば、いい加減な情報で煽られると不安が増します。あるいは、解り易い「敵」を設定して、その敵に関する情報を操作すれば、反感や憎しみ、そして正義感すら煽る事も出来ます。
こうした、不安とか憎しみとかの感情で心が塗り潰されれば、それは意思決定に極めて強い影響力を及ぼします。逆に言えば、貴方の意思決定に影響を与えて(多少なりとも)思い通りに操ろうとするならば、情報を捜査して貴方の不安や憎しみや正義感を煽るのが早道だという事になります。
これは「洗脳」の基本テクニックの1つです。


6.まとめ

我々は、日常生活の中でも無数の選択を行っている。
それぞれの選択の際には、半ば無意識に「リスク比較」を行っている。
リスク比較を意識的に行う事は、意思決定に役立つ。
リスク比較には「確率」の要素が重要になる場合も多い。
「感情」は意思決定に際して最も重要な要素である。
感情を操作すれば意思決定を左右する事が出来る。
従って、貴方の感情を煽ろうとする他者には注意した方が良い。


7.応用編:「低線量被曝の危険性は解っていない」って、一体どういう事?

この項では「不確実な情報が不安を増大させている例」を取り上げます。言い換えれば「誤った解釈が個々人のリスク比較を妨げている例」と言っても良いでしょう。

既にTwitterなどでも何度か言及していますが「低線量被曝の危険性は解っていない」という話を聞く事があります。これは、学術的に厳密に言えば、その通りです。ですから、専門家が正確に誠実に答えようとすると、どうしてもこういう言い方になってしまいます。
しかし、この言葉は、しばしば間違って受け取られます。典型的な間違った解釈は「低線量被曝の影響は解っていないのだから、どんな恐ろしい事が起こる可能性も否定できない」というものです。
勿論、この解釈は誤りです。
では「低線量被曝の危険性は解っていない」とは、本当はどういう意味なのでしょうか。

それは、一言で言えば、解らないとは、危険性が「見えないほど小さいのか、完全にゼロなのか、そのどちらなのかが、解らない」という事です。つまり、少なくとも、危険性が小さいという事は、確定しています。ですから「何が起こるか解らない」などという心配をする必要は、ありません。

我々が生きている世界の中には、様々な危険性があります。全くの自然状態で生きている場合であっても、怪我や病気は勿論、がんになる危険性だってあります。我々は文明を発達させる事により、こうした様々な危険性を著しく減少させてきました。その結果が、例えば乳児死亡率の減少とか平均寿命の伸びなどに現れている訳です(例えば江戸時代には小さな子供が病気で死ぬのは普通でしたし、平均寿命も50歳程度でした。今でも70歳の事を「古希」と呼びますが、それは「古来稀なり」という意味です。つまり現代とは異なり、かつては70歳まで生きる事は非常に珍しかったのです)。
しかしその一方で、原発事故による放射性物質(による被曝の上乗せ)などは、文明の発達により新たに生じてきた危険であると言えます。
この点を踏まえて低線量被曝の危険性を言い換えると「多目に見積もったとしても、我々の日常に存在する様々な危険性に紛れて全く解らなくなってしまう程度の危険性でしかない」となります。

但し、そうは言っても、被曝線量が増えれば危険性も増えます。ですから規制値というものが存在するのです。確かに、規制値以下であれば絶対安全だとは言えません。しかし上で述べた通り「危険性を多目に見積もっても、日常に存在する他の危険性に紛れてしまう程度のものである」とは言えます。

(参考:ここまで述べた様に「低線量の危険性はゼロではないけれど極めて小さい(閾値なし)」という立場と「一定以下の低線量では危険性は完全にゼロになる(閾値あり)」という立場のどちらが正しいかは、未だ決着がついていません。しかし予防原則から考えると、完全にゼロになるという立場がもし間違っていたら困るので、前者(閾値なし)の立場を採用しているのです)


8.謝辞

今回は、長らく寝かせたままになっていた本記事を完成させるきっかけを作ってくださったこちらのまとめの作成者と各Tweetの発言者の皆さんに御礼を申し上げます、色々な意味で(^^)

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