コミケを風疹から守り隊

ラベル ニセ科学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2026年7月29日水曜日

~はじめに~ブログの構成と運営方針

(トップ記事は固定です。最新記事はこの下にあります)
初回公開日:2010年09月10日
最終更新日:2026年07月29日

ブログの運営方針
このブログは、普通のブログとはちょっと方針が異なります。最も大きな特徴は、ページヘッダーにも書きました様に、一旦書いた記事に後から手を入れたり書き直したりする事もある、という点です。何故なら、特に科学やニセ科学に関しては、最終的に通して読んだ時に分かりやすくなる様な文章にしたいと思っているからです。
でも、趣味とか余談の部分に関しては、普通のブログのつもりなので、基本的には、後から書き直したりしないつもりです。
言ってみれば、ホームページとブログの中間的な構成にしたい、というところでしょうか。
なお最近、常にも増して更新が滞っているのは主にTwitterで色々呟いているからでもあります。サイドバーにも最近の発言をリンクしてありますが、宜しければこちらも御覧ください。また過去の呟きはTwilog(こちら)で見られます。

ラベル(タグ)を御利用ください
ラベル(タグ)とは、ブログ記事のカテゴリ(ジャンル)を示すものです。私は通常、1つの記事に2つ以上のラベルを付けています。それぞれのラベルをクリックすると、同じラベルが付いた記事が一覧で表示されます。御利用ください。
なお、便利の為に、このトップ記事には私が使っている全てのラベルを付けました。

「科学」カテゴリの記事(予定)一覧
(既に書いた記事に関しては、タイトルをクリックすると当該記事にジャンプします)

2024年7月11日木曜日

週間PseuDoctor2024年7月第2回(Blog版第7回)

 #0. はじめに

皆様こんばんは。Twitterにも書きました通り、先週末は七夕でした。私の七夕のお願いは「世の中から少しでもデマやニセ情報が減りますように」です。
最近の主だったものを上げるだけでも
医療系:線虫がん検査、反ワクチン
経済系:緊縮主義、財政破綻、財政均衡主義(←全て根っこは一緒ですが)
科学系:ひやっしー、掛け算順序
とまぁ枚挙に暇がありません。
気を取り直して、blog版としてリニューアルした「週間PseuDoctor」(経緯はblog版第1回をご覧ください)第7回をお送りします。
暫しお付き合いください

2024年7月4日木曜日

週間PseuDoctor2024年7月第1回(Blog版第6回)

  #0. はじめに

皆様こんばんは。Twitterにも書きましたが、毎日蒸し暑いですね~
体力を奪われてグッタリしてしまいます。どちら様も、暑さにやられない様ご自愛ください。
それでは、blog版としてリニューアルした「週間PseuDoctor」(経緯はblog版第1回をご覧ください)第6回をお送りします。
暫しお付き合いください

2024年6月27日木曜日

週間PseuDoctor2024年6月第4回(Blog版第5回)

 #0. はじめに

皆様こんばんは。今回もまた1日遅れとなってしまいましたが、blog版としてリニューアルした「週間PseuDoctor」(経緯はblog版第1回をご覧ください)第5回をお送りします。
実は例年この時期はどうしても業務が立て込んでしまう傾向があり、実際に昨年の6月にも「間に合わない」週が2回ほどありました。
もう少しすれば多少落ち着くと思うんですけどね。
それでは、暫しお付き合いください

2024年5月25日土曜日

週刊PseuDoctor2024年5月第5回(Blog版第1回)

 #0. はじめに(如何にして私は週間PseuDoctorをブログに移行するに至ったか?)
などと大袈裟なタイトルを付けましたが、そんなに複雑な話でもありません。
これまで何年にも渡り「週刊PseuDoctor」をTwitter(X)で毎週お届けしてきました。しかしこの度「連ツイがシャドウバンの対象になるらしい」との情報 https://twitter.com/Ganbon_BOT/status/1793955441397187018 を聞き及びました。確かに最近の私自身にも思い当たる節があったので、これは少々困った事態です。だって、連ツイを封じられては「週刊PseuDoctor」が成り立たないのですから(爆)
運営(イーロン)の「課金させたい」という明瞭な意志は感じますが、だからといって「標準で用意されている機能を用いただけなのにシャドウバン」というのは極めて理不尽です。

2013年10月20日日曜日

近藤誠氏の「がんもどき理論(仮説)」の誤りと危険性

初回公開日:2013年10月20日
最終更新日:2013年10月30日
(2文字追加「遺伝子→遺伝子発現」しました。また「7.おまけ」を追記しました)


1.「がんもどき理論(仮説)」とは何か?

「がんもどき理論(仮説)」とは、慶応大学の放射線科医である近藤誠氏が言い出した事です。彼自身は「理論」だと主張していますが、私は単なる「仮説」だとみなしています(理由は後述)。
まずここでは、その内容をなるべく端的に示してみましょう。

1)がんには「がんもどき」と「真のがん」の2種類があるが、これらは見掛け上区別できない。
2)「がんもどき」は増殖速度もゆっくりで、浸潤も転移も起こさない。
3)従って「がんもどき」は慌てて治療する必要は無く、どうしても気になるなら、大きくなってから治療すれば良い。
4)「真のがん」はごく初期から浸潤・転移を起こす。
5)従って「真のがん」は発見された時点で既に治療しても無意味(生命予後を改善しない)である。
6)以上より、がんの早期発見・早期治療は無意味である。

この理論(仮説)には幾つものツッコミどころがありますので、以下に順次記載していきます。

2013年8月1日木曜日

S02-01: 科学の方法、その特徴(特に「実験で証明する」という事について)


初回公開日:2013年07月31日
最終更新日:2013年08月01日

1.簡単な科学の方法論

ごく単純化すれば、科学の方法論は、3つのステップからなります。
それは「観察」「推論」「検証」の3つです。
つまり、物事や現象を観察し、その仕組みや成り立ちについての論理的な推測を行い、それを客観的手法によって検証するというものです。

でも、それって、別に科学に限った事じゃないでしょう?例えば犯罪捜査とか」と思った方もいらっしゃるかもしれません。確かにそれは鋭い指摘です。あくまで個人的意見ではありますが、その様な方法が重視される様になってきたからこそ、近代の犯罪捜査では「科学的捜査」が大切になってきたのだと信じています。例えば「その辺を歩いている怪しそうな奴を強引に連行して自白するまで責め立てる」という様な「自白を極端に重視する前近代的な手法」は、科学的ではないですよね。

ちょっと脱線しました。
各ステップの解説は次項で行いますが、その前に全体を通じた顕著な特徴を述べておきましょう。それは、科学の方法は「サイクル的」もしくは「スパイラル的」であるという事です。これには2つの意味があります。
1つは「科学の検証は繰り返し繰り返し行われる」という意味です。一度で証明終わりとはなりません。現在「確立された科学的事実」とされているものは、何度も何度も検証される事によって、事実である確率が極めて高くなったものです。従って、確かに従来の「科学的事実」が覆る可能性も無い訳ではないとは言え、それは、これまでに行われてきた全ての検証をひっくり返す事になります。ですから、生半可なものではない、極めて強力な証拠が必要です。たとえニセ科学の人が「現代科学は万能ではない」などと(それ自体は間違いではない)台詞を口にしたところで、事実としては小揺るぎもしません。
勿論、科学的な手法を用いても、間違えることだってあります。間違いの可能性は完全にゼロにはなりません。しかし、上述の客観的な検証を繰り返し行うというシステムが、間違いを修正し正しさの可能性を更に上げ続けていく機能を担っているのです。この「科学は時に間違える。だけど間違いは修正される」というのは大切なポイントです。ニセ科学は間違えません。何故なら、自らの誤りをなかなか認めないからです。
2つめの意味は「検証が次の推測に繋がり、それが次の検証につながり・・・と連綿と続いていく」という意味です。一つの科学的事実が明らかになれば、それに基づいた新たな推測が可能になります。その推測は、これまで観察されていても未解明だった現象を説明できるものかもしれません。であれば、新たな推測は検証の対象になります。上で述べた「スパイラル的」という表現は、こうしたプロセスを意識しています。
この様にして科学(的な手法に基づく人類の叡智)は発展してきました。

以上をまとめると「科学的手法とは、自己修正機能と自己発展機能の両者を兼ね備えたシステムである」と言えるでしょう。

2013年6月19日水曜日

富山大学の林衛准教授に対する批判(縮退編)


初回公開日:2013年06月19日
最終更新日:2013年07月01日

(この記事は「発動編」の続きです。まだの方は、発動編から先にお読み頂けると幸いです)


2013年5月29日水曜日

富山大学の林衛准教授に対する批判(発動編)


初回公開日:2013年05月29日
最終更新日:2013年06月19日


1.はじめに

1)本記事を書いた動機
先日(と言っても今年の3月ですから、もう2ヶ月以上経ってしまいましたが)私がTwitterで呟いている【週間PseuDoctor】での林衛氏への批判がAerospaceCadetさんによってまとめられました。このまとめ、意外と多くの方々が御覧になった様です。
考えてみると、林衛氏のデタラメぶりは、これまでにも何度かまとめられています。玉石混交かもしれませんが、Togeterを「林衛」で検索しただけでも結構あります。またBROGOSにこの様な批判記事を書かれた方もいらっしゃいます。
これらを一通り読めば、林氏がどういう方か何となくでも見えてくるでしょう。しかし、全部目を通すのも大変ですので、私の目から見てまとめたものがあっても良いのかな、などと思い始めました。
という訳で、毎度遅筆な自分に鞭打って、批判記事を書く事にした次第です。Twitterでも「ブログ記事が10本は書けるだけのネタは仕込んである」なんて吹いちゃった以上、このままにしとくのはカッコ悪い気もしますので(^^)

但し、10本分のネタを凝縮したにも等しい内容なので、今回も長いですよ。しかも書いていくうちにどんどん長くなってしまったので、2本に分けました。今回が「発動編」、次回が「縮退編」です(名称に深い意味はありません)。それでもまだ十分に長いので、覚悟してお読みください(爆)
一応、章分けしてありますので、一辺に読むのが大変なら少しずつ読み進めてもいいでしょう(^^)
なお、本文中には沢山のリンクがありますが、一応リンク先を見なくても話が通じる様に書いてあります。お時間と興味のある方だけ、リンク先を御覧頂ければ、と思います。

2012年10月8日月曜日

P02-07: ダメな「ニセ科学批判批判」と良い「ニセ科学批判批判」

初回公開日:2012年10月08日
最終更新日:2012年11月06日

(11月06日追記:コメント欄での摂津国人さんの御指摘を考慮した結果「当事者性」と記した部分の多くを「当事者意識」と改めます(但し全てではありません)。コメント欄も御参照ください)


1.「ニセ科学批判批判」という言葉


「ニセ科学批判批判」という言葉は、文字通りに取れば「ニセ科学批判に対する批判」です。ですからその中には「不毛な議論を呼ぶダメな批判」も「耳を傾けるべき提言」も含まれている筈です。しかしながら、私自身と私の知る何人かの方々は、この言葉を否定的なニュアンスで使う事が多い様です。おそらくその原因は、ダメな批判批判に悩まされてきた経験が多いからでしょう。その為、批判批判という言葉を色付きで見てしまいがちなのです。
もっとも、色付きで見られるといえば「ニセ科学批判」という言葉自体がそうだとも思えます。


改めて簡単に書きますと
ニセ科学批判:ニセ科学を批判する事。個別の批判行為の総体。「スポーツ」という名前のスポーツが存在しないのと同じ意味で「ニセ科学批判」という名前の行為は存在しない。
ニセ科学批判批判:ニセ科学批判を批判する事。ダメなものも良いものもある。
となります。


そこでここでは、ダメな批判批判と良い批判批判を選り分ける試みをしてみたいと思います(勿論「選り分ける」と言っても、グレーゾーンを挟んだグラデーションで繋がっている・・・と考えるのは、いつもの事ですが)。

2012年10月1日月曜日

P02-06: 「科学的に間違っている」はニセ科学批判の中で最も簡単な部分です


初回公開日:2012年10月01日
最終更新日:2015年03月03日


1.ニセ科学批判は「科学的な間違いを指摘する事」だけではない

ニセ科学とは「科学ではないのに科学を装っているもの」です。
ですので「ニセ科学を批判するには、それが科学ではない事を示せば良いのだな」と思ってしまいがちです。そう考えるのは、素直と言いますか、確かに自然な感情だと思います。
しかし、現実のニセ科学問題は、それほど単純ではありません。
その、単純ではない理由について、順を追って説明してみます。

まず、多くのニセ科学は「科学的に間違っている事は自明である」レベルです。ですから、少し科学に詳しければ、ニセ科学の科学的な間違いを指摘する事は、むしろ容易なのです。
例を挙げましょう。

2012年9月11日火曜日

S03-03: 科学って、メカニズムを解明する事だけ?

初回公開日:2012年09月11日
最終更新日:2012年09月27日

(2012年09月27日更新:novtanさんの御指摘により、aggren0xさんのidを訂正しました。大変失礼致しました。コメント欄も御覧ください)

1.「メカニズムを解明することだけが科学である」という誤解

ニセ科学を信奉する人が、批判者に対して反論してくるテンプレートの中に「現代科学で説明のつかない事実を、説明がつかないという理由で切り捨ててしまうのはおかしい」という台詞があります。
この言い分には、ごく僅かの真実と多くの間違いが含まれていますので、それらの点が明らかになる様に述べていく事にします。

2012年5月3日木曜日

善川チャーリさんに「偽医者」認定されました(又はハンドルネームの由来について)

初回公開日:2012年05月03日
最終更新日:2012年05月23日

(5月23日追記:この記事に対する善川氏の反応に関して、コメント欄で解説しています。そちらも併せて御覧ください)

1.この記事を書いた動機

当ブログのこちらの記事に関して、善川チャーリ氏がTwitterでこの様に呟いており、またそれを真に受けている方もいらっしゃる様です
プロフィールに医師とありますが、PseuDoctorですからね。Pseudo(偽の)Doctor(医師)というこでしょう。この人の言っているほうがデマ。

ちなみに善川チャーリ氏を御存じ無い方もいらっしゃると思いますが、先鋭的な反原発派であり、病理医を名乗っています。
改めて言っておきますが、私は医師です。しかも善川氏(が自称しているの)と同じ、病理専門医です(詳しい説明は2.でします)。
まぁ、ある意味では善川氏の言にも一理あります。PseuDoctorと名乗った時から、そういう読み方をされる事もあるだろうと覚悟はしていました。しかし、厳密に言えば、Doが重複していません(Pseudo-Doctorとなっていない)から、綴りとしてはおかしいですよね。つまり、本来ならPseuDocterなんて言葉は無いのです。
要するに、これは私が自分のハンドルに込めた、ちょっとした洒落なのです(なんて事まで、わざわざ書かなければならないのは本当に悲しいです)ね。
ただ折角ですから、この際、私のハンドルネームの由来と、そこに込めた思いも、後の方で述べる事にします(6.で書きます)。

あるいは、もしかしたらたった一個の呟きに、そんなに過敏に反応するなよとお考えの方がいらっしゃるかもしれません。確かに大人気ないと言われれば、そうかもしれません。
しかし、一応私はこれで飯を食っている(要するに、プロ)な訳です。ニセと言われれば、反論したくもなります。いや、職業であるかないかに関わらず、自分が誇りを持って真剣に取り組んでいる内容をニセモノ呼ばわりされたら、反論したくなりませんか?例えばボカロPさんとか絵師さんとかの立場でも構いません。自分が精魂込めて作った作品を、安直に「パクリ」呼ばわりされたらどうお感じになるでしょうか。ニセ医師呼ばわりされる気持ちとは、その時の感情に似ていると思います。
また私は、曲がりなりにも「ニセ科学批判」をしている身でもあります。その立場から言えば、何かを「ニセ」呼ばわりするのであれば、きちんとした根拠を持ったうえで言って欲しいと思います。増してや、自ら医師を名乗った上で他人を「偽の医師でしょう」と言うのであれば、相応の根拠が必要とされるのは当然ではないでしょうか。
更に、今回の事は、単なる放言では済まない側面もあると考えています(詳しくは3.の後半と、5.に書きます)。

2012年4月1日日曜日

ニセ科学漫才

初回公開日:2012年04月01日
最終更新日:2012年04月01日

この記事はネタです。登場人物に特定のモデルはいません。特に、この人とかこの人とは何の関係もありません。ありませんったらありませんってば。

それでは「ニセ科学漫才」の始まり始まり~~

(舞台が明るくなる。舞台の正面には、一本のスタンドマイク。その根元には細長い茶色の紙袋が置いてある。上手と下手から、紅白のド派手なストライプのジャケットにバカでかい蝶ネクタイを付けた二人が走り寄ってくる)

さとる「どうも~、さとるで~す」
まこと「どうも~、まことで~す」
「二人合わせて」
ダブルきくちで~す!!よろしくお願いしま~す!」
   (会場拍手888888)

2012年3月20日火曜日

P02-05: ニセ科学批判の実践と責任

初回公開日:2012年03月20日
最終更新日:2012年03月20日



1.ニセ科学批判は(少なくとも現状では)誰がやっても良い、どんな方法でやっても良い
(ニセ科学批判とは、文字通り「ニセ科学を批判する行為」です。少なくとも私のブログでは、それ以上の意味は含ませていません)

現状におけるニセ科学批判は、組織立ったものではありません。ニセ科学批判を職業にしている人も居ません。たとえ本を書いて印税が入るとしても微々たるものであり、事実上ボランティアで行われていると言っても差し支えないでしょう。
従って、ニセ科学批判は、誰がやっても良いのです。特別な資格は必要ありません。そして、批判の方法も自由です。それぞれの人が、自分で出来ると思う事を、自分が良いと思う方法で行えば良いのです。
家族や友達と話し合うのも良いでしょう。ブログやツィッターを使って情報発信をするのも結構です。本を書いたりテレビに出たり、果ては国の政策決定に関与したり出来れば、それは確かに凄い事ですが、そういう事をするばかりがニセ科学批判ではありません。
私は以前からニセ科学批判の裾野が広がって欲しいと思っていましたし、その気持ちは現在でも全く変わっていません。ですから、出来るだけ多くの人が、自らの出来る範囲で行動して頂ければ、それはとても嬉しい事です。
あるいはその中で議論や相互批判や軋轢が生まれるかもしれませんが、それは不可避で必然であるばかりでなく、むしろ必要なものであるとすら思います。


2.「自分の言動から生じた結果は自分で引き受ける」という事


前項では、ニセ科学批判は、誰がどういう形で行っても構わないと書きました。
但し、ここで1つだけ心に留めておいて欲しい事があります。それは「自らの言動の結果は、自らで引き受ける」という事です。つまり「一人前の大人であるのならば(ニセ科学批判に限らず)自分の言動により生じた結果には(一定の)責任がある」という事です。

2012年2月15日水曜日

P02-04-2 ニセ科学の潜在的被害者は誰か~「欠如モデル批判」と「ニセ科学批判」の意外な関係~

初回公開日:2012年02月15日
最終更新日:2012年03月25日



(この記事は、以前の記事(P02-04)にも増して、ある程度の知識がある方を対象にしています。初めてお読みの方には御迷惑をお掛けしますが、御容赦ください)


1.「欠如モデル」の(平川さんによる)定義に対する疑問


「欠如モデル」に関しては、以前の記事(P02-04)の中でも少し触れましたが、今回はもう少し掘り下げて考えて見ます。実を言うと、私も「欠如モデル」という用語は初耳でしたので、まずは以前の記事中にも記した通り、平川さんの言葉に基づいて、欠如モデルの定義を理解しようと試みました。
平川さんによれば、欠如モデルとは「 科学技術をめぐる不安や反対などトラブルの原因が、知識不足以外に(も)あるのに、知識不足の問題としてのみ扱うこと 」であり(ソースはこちら)、また「不安・反対の人々を「無知で不合理な存在」として表象し、「ご理解下さい」と一方的に技術の受容を迫るなど、テクノクラティックな態度のこと」だそうです(ソースはこちら)。


しかしながら、当初から私はこの定義に違和感を持っていました。即ち、上記の記事でも少し触れた様に、
「科学技術をめぐるトラブルの原因が知識不足のみだと考えている人など本当に居るのか?」
一方的に技術の受容を迫っている人など居るのか?」
という疑問が消せなかったからです。
この疑問が言葉尻を捉えたイチャモンではない証拠に、平川さんは同時に「本当に知識不足が原因である問題に対して必要な知識を提供することは当然のこと。批判対象ではないし、敢えて欠如モデルと呼びもしない」とわざわざ述べておられます。つまり、私が太字で強調した部分、即ち「のみ」や「一方的」という修飾語こそが、欠如モデルのキモだという事になります。


でも、本当に、欠如モデルとはそういう意味なのでしょうか。更に平川さんによれば「そのくらいのことは10本も論文読めばわかること。科学技術社会論や科学コミュニケーションに関わる人は、それくらいは勉強しておかねば。これは、物理を学ぼうとする者に「まず解析学はちゃんと勉強して」というのと同じ職教育上の要求であって「欠如モデル的」でないのはいうまでもない」(ソースはこちらだそうです。従って、科学技術社会論(STS)的には、上に述べた平川さんの定義は、ごくごく当たり前の常識であり、それを知らないのは解析学を知らずに物理を学ぼうとする位に無謀だという事になります。これって、極めて強い言い方ですよね。医学に例えれば「人体の構造や機能を知らずして臨床医学を学ぼうとする」ほど無謀だというところでしょうか。



ところが。

2011年12月25日日曜日

「早川由紀夫氏訓告問題」について

初回公開日:2011年12月25日
最終更新日:2012年03月10日



(2012/12/26追記:「6.余談その2」について、黒猫亭さん本人からTwitter経由で御意見を頂いておりますので、今後内容を変更する可能性があります。現在の記述は暫定的なものとしてお読みください。)
(2011/12/29追記:「6.余談その2」に関しては、内容の削除や書き換えは行わず、もとの文章を残したままで追記及びコメントによって補足する事にしました。括弧でくくり「追:」を冒頭に付けた部分が、今回追記したものです。また追記で書ききれない内容をコメント欄に書いてあります)
(2012/03/10追記:「わたしたちは子供を産めますか」というTogetter経由でこちらに来られた方は、是非こちらの記事もお読みください)


1.はじめに

既に報道等で御存知の方も多いとは思いますが、2011年12月7日、早川由紀夫氏(群馬大学教育学部教授)がTwitter上での発言を問題視され、学長より訓告を受けました(本人によるまとめはこちら)。この件に関しては幾つかの論点があります。また私は震災以前の早川氏の言動も多少知っており、直接遣り取りした経験もありますので、そうした点も踏まえて、以下に述べていきたいと思います。
また、これは大切な事なので初めに書いておきますが、早川氏は衆目を集めたくてわざと暴言を吐いている節があります。ですから彼の発言をマトモに相手して軽挙妄動に走るのは控えてください。少なくとも、感情的になるのは、相手の思うツボです。
この記事を最後までお読みになれば「早川氏はマトモに相手するに値しない」という事を御理解頂けるかもしれません。

2.早川発言の問題点


報道では「殺す」「オウムと同じ」という様なセンセーショナルな部分がクローズアップされがちです。しかし、彼の発言の問題点はそれに留まりません。これはある意味、震災前から一貫しているとも言えます。
まず項目を挙げます。


1)表現が過激で乱暴である。
2)嘘吐き、もしくは無責任。
3)差別的である。
4)明らかに知識不足であり、にも関わらず(だからこそ?)俗流・独自解釈に固執する。
5)詭弁を多用する。
6)ワガママで自分勝手。
7)上記5)6)からの帰結として、しばしばダブルスタンダードに陥る。


以下、個別に解説していきます。

2011年8月30日火曜日

P02-04: ニセ科学批判の対象と射程~震災後のニセ科学批判の困難さ~

初回公開日:2011年8月30日
最終更新日:2011年8月30日



(このエントリは、ニセ科学批判について、ある程度の知識のある方を対象にしています。初めての方には少し解り難いかもしれません)
(ニセ科学批判とは字義通り「ニセ科学を批判する行為」の事です。それ以上の意味は込めていません)


1.これまでに(震災前までに)ニセ科学批判が主な対象としてきた人達


これまでのニセ科学批判が主に対象にしてきた(射程に入れてきた)人達は誰なのでしょうか。


最大のターゲットの1つは、言うまでも無く「自らがニセ科学の発信源となっている人」です。これは明確な批判対象です。しかしながら、自ら積極的にニセ科学を広めている人(例えば由井寅子さんとか江本勝さんとか)は、少々批判されたくらいでは容易に止めたりはしないと考えられます。また、こうしたニセ科学的な事を言い出す人は雨後の筍の様に出てくるので、いくらやっても「モグラ叩き状
態」になってしまいます(勿論、だからといって批判を止める訳にもいかないのですが)。


そこで、第2の対象として「ニセ科学に興味の無い人・なんとなく聞いた事はあるけれども詳しくは知らない人」をターゲットにしてきました。ターゲットと言うと聞こえが悪いですが、この場合は、批判よりもむしろ啓蒙が目的となります。つまりニセ科学について知って貰う」事により、ニセ科学にハマり難くするのを目指しています。言わば予防ですね。


なお、知識の欠如が問題とする見解に対して、これを所謂「欠如モデル」と看做して批判する事がある様です。しかし平川秀幸さんによれば批判対象となるのは原因が知識欠如「のみ」だと考える場合だそうです(ちょっと長い議論になりますが、興味のある方はこちらのTogetterも御参照ください)。
だとすると、私の知る限りでは「知識の欠如のみが問題である(=知識さえ与えれば問題は解決する)」などという見解を持っている人に会った事がありませんので、さしあたり平川さんの言っている事は気にしない事にします。


2.これまでに(震災前までに)ニセ科学批判があまり対象としてこなかった人達


一方で、あまりターゲットにしてこなかった人達もいます。最も典型的なのは「ディープなビリーバー」です。菊池誠さんなどが良く仰るのは「ビリーバーは説得できない」という言葉です。これは文字通りに「できない」というより、むしろ「説得には個別に対応する必要があるし多大なコストがかかるうえに、たとえそうやっても出来るとは限らない」という意味に解釈すべきでしょう。ニセ科学批判は基本的にボランティアで行われていますしリソースも限られていますから、ビリーバーの説得に費やすコストを捻出するのはなかなか困難です。
つまり、ビリーバーを見捨てているのでも相手にしていない訳でもないのです。実質的にそれが出来ないでいるのはマンパワーと方法論の問題だと理解しています。

2011年5月25日水曜日

P01-01: ニセ科学の(一応の)定義

初回公開日:2011年05月25日
最終更新日:2017年08月17日

1.ニセ科学とは

ニセ科学の定義に関しては、ニセ科学批判Wikiの中にも書きましたので、そちらを見て頂いても良いですし、そのWikiを参考に書かれたはてなキーワードを参照頂くのも良いと思います。でもまあ、折角ですから、ここではもう少し噛み砕いた説明を試みてみましょう。

ニセ科学とは「科学ではないのに科学を装っているもの」です。つまり「科学ではないもの」の中で、特に「科学を装っているもの」をニセ科学と呼ぶのです。
これはタイトルにも書いた様に「一応の」定義です。ですから、ニセ科学と呼ばれているものを違う名前で呼んでも構いません。別に「ニセ科学」という言い方にこだわる必要はなく、疑似科学でも似非科学でもウソ科学でも、好きな様に呼べば良いのです(そう言えば「コミックサイエンス」なんてのもありましたねぇ(遠い目))。
但し、ここで述べています通り「ニセ科学」という用語に関しては、既にある程度、意味内容の検討が為されています。ですから、敢えて別の用語をお使いになるのであれば「自分がその用語を選択した動機や、その用語に込めようとした意味」などについても、多少は意識して頂きければ、と思っています。
もし、自分が使っている用語の意味内容について全く無頓着になってしまうならば、その場合には、もはやまともな議論は望めなくなってしまうでしょう。
そう、例えば「メルトダウン」という言葉の様に。

更に、この定義を使うにあたっては、幾つかの注意点がありますので、以下の2.と3.で述べます。

2.ニセ科学の定義は実態に合わせて決められた

まず、この定義は「先に定義を決めておいて、その定義に当て嵌まるものをニセ科学と呼んで批判している」のではありません。そうではなくて「これはどう考えてもニセ科学だろう」という個別の事例を幾つも集めてきて見比べてみたら、共通点が見い出せた。その共通点を端的に示したのが、上記の定義だという訳です。
その意味では、これは定義と言うよりはむしろ「ニセ科学という言葉を説明したものである」と考えた方が解り易いかもしれません。

3.ニセ科学を定義する事の難しさ

次に、定義自体の曖昧性があります。これは更に3つに分けられます。

1つ目は「科学である/ない」という判定は必ずしも容易ではない点です。この難しさに関しては、既にS01-01の記事で触れています。そしてその中で「科学と非科学の境界が明確でなくても、明らかに非科学であるものを決める事は出来る」という意味の事を書きました。この点に関しては、後ほど具体例を挙げます。

2つ目は「装う」という言葉の難しさです。どういう条件を満たせば「装っている」とみなせるのでしょうか。ここで私は、条件を厳しめに設定したいと思います。何故なら、私がニセ科学を批判する主要な目的の中に「ニセ科学の蔓延による社会への悪影響を少しでも減らしたい」というものがあるからです。
具体的には「科学を装う意志があるとみなせる」あるいは「科学だと誤認してしまう人が無視出来ない数で存在する」の、いずれか片方を満たした時点で「科学を装っている」と判断します。

3つ目は、1つ目と2つ目の複合型です。「科学である/ない」は、真っ白から真っ黒まで連続したグラデーションを形成しています。その場合に「科学ではないのに科学を装っている」というのは、典型的には「真っ黒なものを真っ白と言い張る」事ですが、必ずしもそれだけではないのです。
「真っ黒なものをグレーと言い張る事」や「グレーなものを真っ白と言い張る事」もニセ科学に含まれると考えます。実際には真っ白と真っ黒の間は連続的に無段階に変化しているので「明らかに濃いグレーを明らかに薄いグレーと言い張る」など、無数のバリエーションがあり得ます。
という訳で、冒頭に述べたニセ科学の定義は「実態と主張(もしくは見掛け)との間が、明らかに掛け離れているもの」と言い替える事も可能だと考えます(もしかしたらこちらの定義の方がより正確かもしれませんが、逆に表現としては解り難くなっているきらいもありますね)。
そして、いずれの定義を使った場合でも、ニセ科学かどうかの判定に際しては、個々の具体的な例に応じて判断する必要があります。

2011年5月11日水曜日

P01-05: ニセ科学に嵌る心理~私達はなぜ放射線を恐れるのか?~

初回公開日:2011年5月11日
最終更新日:2011年8月24日
(4.と5.を加筆修正しました)

東日本大震災と福島第一原発の事故から(この記事の初回公開時点で)丁度2ヵ月が経過しました。しかし、今もって、これらの話題を聞かない日は1日もありません。
現在も、多くの人々が放射線に対する不安と恐怖に苛まれていると感じます。
この記事は、直接「安全だ」「危険だ」という議論をするものではありません。しかし「ニセ科学に嵌る心理」を分析する事が、皆さんの感じている放射線への不安に対して、少しでも役に立つかもしれません。そういう気持ちも込めて書きました。

最初に、結論を述べます。
私は「ニセ科学に嵌る心理は、多かれ少なかれ誰でも持っているものであり、そしてそれは、放射線を恐れる心理とも通じるものがある」と考えています。
では、その様に考えるに至った思考の道筋を、以下に記してみます。

1.恐怖と不安の違い

まず考えてみたいのは「恐怖」と「不安」の違いについてです。
皆さんは、この2つがどの様に違うと思いますか?
それとも、そんなのは、考えた事も無いでしょうか?

一言で言うと、対象が明確である場合を「恐怖」と呼び、対象が不明確である場合は「不安」と呼びます。つまり「不安とは、対象の無い恐怖である」と言えます。
もう少し詳しく述べるならば、恐怖とは、現実に存在し、既に確定している脅威に対する感情であり、不安とは、未確定もしくは未知の脅威に対する感情であると言えます。
まず、この違いを良く覚えておいて下さい。

2.恐怖と不安、どちらが対応し易いか

次に、この2つのうち、どちらがより対処し易いかを考えてみましょう。
異論はあるかもしれませんが、私見では明らかに「恐怖」の方が対応が楽であり、不安の方が対応が難しいと考えています。その理由は、まさに上述した「対象が明確であるか不明確であるか」という違いによるものです。つまり「対象が明確であるならば対応手段もとり易いけれど、対象が不明確だと、どうやって対応すれば良いのか解り難い」という事です。