コミケを風疹から守り隊

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2026年7月29日水曜日

~はじめに~ブログの構成と運営方針

(トップ記事は固定です。最新記事はこの下にあります)
初回公開日:2010年09月10日
最終更新日:2026年07月29日

ブログの運営方針
このブログは、普通のブログとはちょっと方針が異なります。最も大きな特徴は、ページヘッダーにも書きました様に、一旦書いた記事に後から手を入れたり書き直したりする事もある、という点です。何故なら、特に科学やニセ科学に関しては、最終的に通して読んだ時に分かりやすくなる様な文章にしたいと思っているからです。
でも、趣味とか余談の部分に関しては、普通のブログのつもりなので、基本的には、後から書き直したりしないつもりです。
言ってみれば、ホームページとブログの中間的な構成にしたい、というところでしょうか。
なお最近、常にも増して更新が滞っているのは主にTwitterで色々呟いているからでもあります。サイドバーにも最近の発言をリンクしてありますが、宜しければこちらも御覧ください。また過去の呟きはTwilog(こちら)で見られます。

ラベル(タグ)を御利用ください
ラベル(タグ)とは、ブログ記事のカテゴリ(ジャンル)を示すものです。私は通常、1つの記事に2つ以上のラベルを付けています。それぞれのラベルをクリックすると、同じラベルが付いた記事が一覧で表示されます。御利用ください。
なお、便利の為に、このトップ記事には私が使っている全てのラベルを付けました。

「科学」カテゴリの記事(予定)一覧
(既に書いた記事に関しては、タイトルをクリックすると当該記事にジャンプします)

2024年7月11日木曜日

週間PseuDoctor2024年7月第2回(Blog版第7回)

 #0. はじめに

皆様こんばんは。Twitterにも書きました通り、先週末は七夕でした。私の七夕のお願いは「世の中から少しでもデマやニセ情報が減りますように」です。
最近の主だったものを上げるだけでも
医療系:線虫がん検査、反ワクチン
経済系:緊縮主義、財政破綻、財政均衡主義(←全て根っこは一緒ですが)
科学系:ひやっしー、掛け算順序
とまぁ枚挙に暇がありません。
気を取り直して、blog版としてリニューアルした「週間PseuDoctor」(経緯はblog版第1回をご覧ください)第7回をお送りします。
暫しお付き合いください

2024年7月4日木曜日

週間PseuDoctor2024年7月第1回(Blog版第6回)

  #0. はじめに

皆様こんばんは。Twitterにも書きましたが、毎日蒸し暑いですね~
体力を奪われてグッタリしてしまいます。どちら様も、暑さにやられない様ご自愛ください。
それでは、blog版としてリニューアルした「週間PseuDoctor」(経緯はblog版第1回をご覧ください)第6回をお送りします。
暫しお付き合いください

2024年6月27日木曜日

週間PseuDoctor2024年6月第4回(Blog版第5回)

 #0. はじめに

皆様こんばんは。今回もまた1日遅れとなってしまいましたが、blog版としてリニューアルした「週間PseuDoctor」(経緯はblog版第1回をご覧ください)第5回をお送りします。
実は例年この時期はどうしても業務が立て込んでしまう傾向があり、実際に昨年の6月にも「間に合わない」週が2回ほどありました。
もう少しすれば多少落ち着くと思うんですけどね。
それでは、暫しお付き合いください

2024年6月13日木曜日

週間PseuDoctor2024年6月第2回(Blog版第3回)

 #0. はじめに

皆様こんばんは。blog版としてリニューアルした「週間PseuDoctor」(経緯はblog版第1回をご覧ください)、今週もまた1日遅れとなってしまいましたが、ともあれ第3回をお送りします。
暫しお付き合いください

2024年5月25日土曜日

週刊PseuDoctor2024年5月第5回(Blog版第1回)

 #0. はじめに(如何にして私は週間PseuDoctorをブログに移行するに至ったか?)
などと大袈裟なタイトルを付けましたが、そんなに複雑な話でもありません。
これまで何年にも渡り「週刊PseuDoctor」をTwitter(X)で毎週お届けしてきました。しかしこの度「連ツイがシャドウバンの対象になるらしい」との情報 https://twitter.com/Ganbon_BOT/status/1793955441397187018 を聞き及びました。確かに最近の私自身にも思い当たる節があったので、これは少々困った事態です。だって、連ツイを封じられては「週刊PseuDoctor」が成り立たないのですから(爆)
運営(イーロン)の「課金させたい」という明瞭な意志は感じますが、だからといって「標準で用意されている機能を用いただけなのにシャドウバン」というのは極めて理不尽です。

2022年6月8日水曜日

財務省資料「公債依存度の国際比較」のウソ

初回公開日:2022年06月08日

最終更新日:2022年06月08日


1.はじめに

拙ブログの読者なら御存知とは思いますが、私はTwitterにて(ほぼ)毎週水曜日に「週間PseuDoctor」と題して集中的に呟いております。その「週間PseuDoctor」の中で先日のスレッドにて、財務省資料の「公債依存度の国際比較」がとんでもない代物であると指摘し「どこがおかしいのか」は読者への宿題としました。すると以前からのフォロワーさんから「ブログで解説して欲しい」とのリプを頂きました。
という訳で、折角なので少し詳しく解説してみましょう。例によって長くなってしまいますが、そこはいつものことなので(^^)御容赦ください。
 

2018年11月21日水曜日

もういい加減「少子高齢化による社会保障費の増大が国家財政を圧迫」という大嘘は止めよう

初回公開日:2018年11月21日
最終更新日:2021年06月30日


1.はじめに

タイトルにも掲げたとおり、ここ何年にも渡って「少子高齢化による社会保障費の増大が国家財政を圧迫している、だから財政再建待ったなし、だから消費税増税が必要」みたいな言い回しが、ずっと言われ続けています。政治家も、役人も、新聞もTVも、あたかもこれが確定した事実の如く、当然の前提である様な顔をして口にしています。
しかし私は、初めて聞いた時から、この言い方に強い違和感を持っていました。何故なら「そもそも社会保障費とは、国民の生命や健康や生活を守る為のものである筈」だからです。言うなれば国の機能として最重要と言っても過言ではありません(逆に言えば、国民の生活を犠牲にして成り立つ様な国家など、存続すべきではありません。更に一般化して言えば、そもそも経済とは人々を幸福にする為のものであるべきなのです)。

2016年1月6日水曜日

消費税増税には非常に多くの問題点がある

初回公開日:2016年1月06日
最終更新日:2016年1月06日

1.はじめに

拙ブログでは、これまで経済、とりわけ消費税について幾つかの記事を書いてきました。
ちょっと一覧にしてみましょう(各タイトルには記事へのリンクを貼ってあります)。

素人談義:増税亡国論
消費税増税の光と闇
経済メモ:景気・金融・財政などの話(アベノミクスで景気は回復するか?)
消費税増税論者の嘘を撃つ
『消費税軽減税率の財務省案』はどこが酷いのか?(その1)
『消費税軽減税率の財務省案』はどこが酷いのか?(その2)

私がこれらの記事で一貫して主張しているのは
景気の調節は金融政策と財政政策で行う。景気回復の為には金融緩和と財政拡大の両方が必要
消費税増税は財政拡大とは正反対の政策なので反対
といった所です。
上記の記事でも個別に書いていたつもりではありましたが「消費税増税そのものの本質的な問題」については、かなり重要な論点だと思います。そこで、その点に着目して書いた記事があっても良いのではないかと考えました。ちょっと漢字ばかりの硬い文章になってしまって恐縮ですが、お読み頂ければ幸いです。


2015年11月30日月曜日

「消費税軽減税率の財務省案」はどこが酷いのか?(その2)

初回公開日:2015年11月30日
最終更新日:2015年11月30日

この記事は(その1)の続きです。まだお読みでない方は、こちらから御覧ください。
最初に、前回分の内容を、見出しだけ掲載しておきます。

1.はじめに

2.財務省案そのものの欠点

1)現在の日本の状況では消費税増税は明らかな悪手であり愚策
2)事務処理の増加
3)システムの運用への不安

以上の内容は前回記事(その1)に書きましたので、そちらを御参照ください。
今回はその続き、つまり2.の4)からです。

2015年10月11日日曜日

「消費税軽減税率の財務省案」はどこが酷いのか?(その1)

初回公開日:2015年10月11日
最終更新日:2015年11月30日


1.はじめに

2015年9月、財務省の消費税軽減税率に関する案が報道されました。内容が猫の目の様にクルクル変わって解り難いうえに、結局この案は見送られそうな勢いです。ここで改めて当初の案を振り返るならば、例えばこちらをご覧ください。簡単に言うと

食料品の税率は8%に据え置く。
一旦10%分の税金を支払い差額を後日還付する。
還付額集計の為に買い物ごとにマイナンバーカードをレジで提示する。
還付額には上限がある。

というものです。この、当初の財務省案(以下では「本案」と書きます)には、一言では言い表せない程、欠点が満載です。そこで、本案そのものやその周辺にみられる欠点を列記した上で、その背後にあるものまで考えてみたいと思います。
なお、例によって(私の悪い癖ですが)書いているうちにどんどん長くなってしまいそうなので、とりあえず書けた部分から分割して公開する事にします。「全部書きあがってから」などと言っているといつになるか解りませんので(爆)。
(11月30日追記:ようやく続編を書きました。末尾にリンクを貼りましたので、そちらから御覧ください。)

2014年7月2日水曜日

東京都議会での差別野次について~真に冷静な一般論~

初回公開日:2014年07月02日
最終更新日:2014年07月02日


1.はじめに(事実関係と論点整理)

既に多数の報道がありますが、2014年6月18日の東京都議会本会議で、塩村文夏(あやか)議員(みんなの党)が、晩婚化・少子化について質問している最中に、女性蔑視の野次が飛びました。野次は複数あったとされており、6月23日に鈴木章浩議員(自民党)が野次発言を認め本人に謝罪し、その他の野次についても徐々に明らかになってきています。しかし本記事公開の時点では、未だ全貌は明らかになっていないと感じます。また鈴木氏の謝罪会見に対しても「何が問題だったのか解ってない」との批判があります。
発言者(の少なくとも一部)が特定された事は大きな前進だと思いますが、もしもこれで幕引きになってしまう様では、むしろ本質的な解決からは遠ざかってしまうだろうと危惧します。何故その様に考えるかは、本記事をお読み頂ければ解るかと思います。

この問題には幾つもの要素が重なっていて見掛けよりも複雑なので、ちょっと整理してみます。大きく分けると
1)今回の野次は何処がどの様に酷いのか
2)野次が飛んだ背景にあるもの
3)今後どう対処していくべきか
の3つだと考えます。これは言い換えれば現在・過去・未来の話でもあります。
以下、この3つに関してそれぞれ述べていきます。

2013年2月5日火曜日

経済メモ:景気・金融・財政などの話(アベノミクスで景気は回復したか?)


初回公開日:2013年02月05日
最終更新日:2020年09月03日

1.はじめに

第二次安倍政権が2012年12月に発足し、いわゆる「アベノミクス」と呼ばれる一連の経済政策が示されました。そして、その直後から株価は復調し円高も是正される傾向にありました。これはおそらく、少なからず「期待感」による部分があるのだと推測します。
では何故「アベノミクス」によって景気が回復すると期待されたのでしょうか。
そして何故「アベノミクス」は腰折れしてしまったのでしょうか。
今回はそのあたりを理解する一助になればと思い、主に「金融緩和をすれば景気が良くなるのか」という点を中心にして、ごく基本的な部分(つまり私が理解している範囲内の内容)を述べたいと思います。

当ブログには少数ながら「経済」タグの記事がありますが、総じてアクセスは少なめです(笑)。それも当然と言えば当然かもしれません。しかし、それでもやっぱり「書いた以上はなるべく多くの方々に読んで頂きたい」と思うのも人情です。
という訳で、宜しければそちらも併せてお読み頂ければ幸いです。
私は経済については勉強中の素人ですから、もしもおかしな点があればツッコミを歓迎します。

また、念の為付け加えておきますと、私は安倍政権には大きな問題があると考えています。
少なくとも教育分野に関しては、はっきり「トンデモと言っても構わないレベルだと判断しています。
また憲法改正に関しても賛同できない事ばかりです。
更に言えば、ここで取り上げる「アベノミクス」ですら、財政政策に関しては問題ありと考えます。
しかし、それらの問題点を別にしても、金融政策は強く支持します。これは是々非々です。
以上の点を御理解の上で、お読み頂ければ幸いです。
ちなみに今回も、ちょっと長めです(^^;これでも削ったんですけどね。

2012年7月29日日曜日

時事ネタを幾つか(オスプレイ、生活保護、経済問題など)

初回公開日:2012年07月29日
最終更新日:2012年07月29日

1.はじめに

今回の記事は、最初はTwitterで呟くだけにしておこうかと思った内容です。しかし下書きをしているうちに、思いの外長くなってしまったしまいました。
折角ですので、まとめて記事にする事にします。
元がTwitterで連投しようと思っていた文章ですので、常にも増してダラダラとしたメリハリに乏しい文章になってしまっておりますが、どうか御容赦ください。

2.オスプレイ問題

7月23日にオスプレイ(MV-22)が岩国基地に搬入されました。皆様御承知の様に、オスプレイに関しては「安全性に不安がある」という理由での反対運動があります。この反対運動に関して私の気持ちを簡潔に述べるならば「反対する心情には理解も共感もできるが、議論としての筋は通らない。そしてそこには、過激で極端な反原発運動と類似の構造も見える」となります。

2012年6月9日土曜日

電気が足りないと人死にが出る(あるいは、脱原発への冷静な議論)

初回公開日:2012年06月09日
最終更新日:2012年06月09日

1.私は「脱原発」の立場です

最初に申し上げておきます。私は、敢えて言うなら「段階的脱原発派」という立場です。原発を徐々に減らしていき、最終的には無くすべきだと思っています。そしてその為には、どうすれば原発を減らせるかを冷静に具体的に考えなければなりません。真面目に考えれば考える程、解決すべき問題は山積しています。政治的問題、経済的問題、そして技術的問題・・・
しかし、こういう考え方は、どうも「反原発」の方々にはウケが悪い様です。冷静な脱原発の議論をしようとしただけで「原発推進派」のレッテルを貼られたりします。その為、逆に「反原発」という言葉に妙な色がついてしまっている様にすら思えます。言うなれば「反原発=感情的で急進的な反原発原理主義者」という語感になってしまっている様に見えて仕方が無いのです。

はっきり申し上げれば、現状の「反原発(急進的な反原発原理主義)」は、真面目に脱原発を考えている人達にとって迷惑でしかありません。
何故なら、本気で「原発の無い社会」を目指すのならば「どうやって原発を減らし、無くしていくのか」を真剣に考える必要があるからです。それを忌避して感情的に「原発反対」を唱えたところで、原発は無くなったりしません。

そしてまた「原発推進派」を「利権まみれの悪の権化」の様に考えるのも極端過ぎます(いや、そういう人が全く居ないとは言いませんが、少なくとも「原子力ムラ」などと一くくりにする様な見方では大局を見誤ります)。少なくともこれまで原発が推進されてきたのは「エネルギー資源に乏しい我が国が諸外国に頼らずにやって行く為」の現実的な解答だった、というのも、一面の真実である筈です。

2012年3月31日土曜日

消費税増税の光と闇

初回公開日:2012年03月31日
最終更新日:2013年05月28日

(当ブログでは2本目の経済関連記事となります。浅学非才を省みず畑違いの分野に口を出すのは「このままではいけない」という危機意識の現われだと思ってください。また、以前の記事を含む各分野の記事を一覧したい場合には、記事末尾にあるラベル(タグ)を御利用ください)

1.私は必ずしも「消費税増税」そのものに反対している訳ではない

2012年3月30日、消費税増税法案が閣議決定されました。民主党内の事前審査での根強い反対意見を押し切る形です。「何としても年度内に法案提出する」という野田政権の強い意志が反映されたものと言えるでしょう(それでも努力目標とはいえ弾力条項が入ったのは、一定の成果と言えるでしょう。しかし全く予断を許さない状況です)。
サブタイトル通り、私は必ずしも消費税増税そのものには反対しません。しかし、現在の経済状況の下での増税には反対です。理由は大きく3つあります。
1)そもそも増税の必要性そのものに疑問がある。
2)増税してもそれほど税収は増えない。結果として悪循環に陥る。
3)現在でも不況で苦しんでいる多くの国民が更に苦しめられる。

その一方で、以前から抱いている幾つかの「素朴な疑問」があります。
1)野田政権は何故これほどまでに増税をしたがるのか。
2)そもそも「税と社会保障の一体改革」とは何なのか。
3)大手マスコミ、特に大新聞は何故、概ね消費税増税に賛成の論調なのか。
4)「増税するなら国会議員も身を切れ」という意見は妥当なのか。

これらに関して、以下、個別に解説していきます。

2011年8月7日日曜日

素人談義:増税亡国論

初回公開日:2011年08月07日
最終更新日:2017年05月24日

1.はじめに

タイトルに書きました様に、私は経済についても、政治に関しても素人です。しかしながら、最近の情勢を見ると、あまりにも増税を実行しようとする勢力が強過ぎると感じます。そこで敢えて刺激的なタイトルを付け、自らの浅学非才を省みずに(って、これはいつもの事ですが)書いてみた次第です。
理解の浅い所や単純化し過ぎた点があるとは思いますが、大きく本質は外していないつもりです。
(2017年05月24日追記:与謝野馨氏が亡くなったそうです。残念でなりません。願わくば彼には、もっともっと長生きして頂いて「金融緩和と財政出動により日本経済が見事に復活するさま」を、その目に見せ付けてあげたかったです。)

2.予備知識

まず、2つほど予備知識を述べます。と言っても、それほど難しい事を書くつもりはありません。

1つめは「ありふれたものの価値は低く、希少なものの価値は高い」です。これは直感的にも理解し易いでしょう。例えば、トレーディングカードゲームなどでも、激レアなカードは価値が高い。それはまさしくレア(希少)だからです。誰でも持っているカードは価値が低いですよね。ゴールドやダイヤモンドの価値が高いのも、地球上に存在している量が少ないからです(もっとも、いくら希少であっても誰も欲しがらなければ無価値ですが、そこまで述べると長くなるので今回は割愛します)。
そして、これはお金そのものについても言えます。お金が少ししかなければお金の価値は高くなり、少しのお金で沢山のものが手に入ります(つまり、物の値段が安いという事)。これがデフレです。この時、安くなるのは物の値段だけではなく、労働の値段も安くなります。従って、賃金がなかなか上がらないという事になります。
逆に、世の中にお金が溢れていれば、お金の価値が下がり、少しの物を買うのにも沢山のお金を支払わなくてはなりません(=物の値段が高い)。また労働にも沢山のお金が支払われる様になります(=賃金が上がる)。これがインフレです。
更にこれは、円と他の通貨(ドルやユーロ)との関係についても言えます。円が少ししかなければ円の価値が(相対的に)上昇し、円高になります。逆に円がふんだんにあれば円の価値は下がり、円安となります。

2つめは「経済が停滞すると人が死ぬ、死なないまでも不幸になる」です。端的に言って、景気が悪くなると失業者が増えます。今の日本はこの状態です。仕事が無ければお金が入ってきません。お金が無ければ生きていけません。あるいは「ホームレスになれば」と無責任に言う人が居るかもしれません。しかし、ホームレスとして生きられるかどうかですら、やはり景気に左右されるのです。例えば、景気が悪くなれば企業は期限切れで廃棄される食品を減らそうとするでしょう。また職を持ち食べていられる人達も、なるべく食べ残しを減らそうとするでしょう。結果、ホームレスの人もやはり、より飢える事になるのです。この様に、経済の停滞によって不幸になる例は、枚挙に暇がありません。

2011年3月15日火曜日

震災への御見舞い

初回公開日:2011年3月15日
最終更新日:2011年3月24日

2011年3月11日~12日にかけて、東北地方沖太平洋及び新潟県中越地方で大きな地震が幾つも発生し、東日本の極めて広い範囲で多くの方々が被災されました。
現在でも余震が続いています。まさに今、これを書いている最中にも、福島沖で余震が起き、更にその直後、静岡で新たに大きな地震が発生しました。

被災された方々に心より御見舞い申し上げます。
また、災害救助・復旧・対応にあたっておられる全ての方々に、深く御礼申し上げます。

被災された方々へ
震災直後も、今も、そしてこれからも、多くの人が皆さんの事を想い、行動し、あるいは将来の行動に備えて準備しています。
今回の事で、かけがえの無いものを失われた方も多いと思います。
けれど、取り戻せる日常も、必ずあります。
悲しければ泣いても良いのです。
決して無理はしないでください。
でも、希望を完全に失う事だけは、しないでくださいね。

対応にあたっておられる方々へ
皆さんは、我々の誇りです。
勿論、あなた方はスーパーマンでも何でもない、普通の人だという事は知っています。
でも、だからこそ、あなたは私達のヒーローなのです。
くれぐれも、お体には気をつけてください。

2010年12月12日日曜日

「表現規制」について(「表現の自由」はなぜ大切か?)

初回公開日:2010年12月12日
最終更新日:2016年07月21日

1.はじめに

多くの方が御存知の様に、2010年3月の時点で継続審議となっていた「東京都青少年健全育成条例」(いわゆる非実在青少年規制条例)の改正案が12月都議会に提出されています。
私はこの条例には明確に反対です。その最も大きな理由は、これが「表現規制」、即ち「表現の自由を犯すこと」に繋がるからです。「この条例は表現規制そのものではない」というタテマエ論を述べる方もいらっしゃる様ですが、条例の内容は規制側の恣意的な運用が大幅に可能になっているものであり、実質的な表現規制に結び付く危険性はかなり大きいと言うべきです(ぶっちゃけて言えば、そもそも体制側が「表現規制をやります」なんて馬鹿正直に言う筈が無いと思っております)。

では、なぜ「表現の自由」は大切なのでしょうか。
それは勿論「憲法で保障されている基本的人権だから」ですね。
でも、もう少し踏み込んで考えてみましょう。
なぜ「表現の自由」は「基本的人権」なのでしょう。
そしてなぜ「基本的人権」は憲法で保障されているのでしょう。

これを書いている時点では、まだ条例の改正案がどうなるのか解りませんが、どうやら民主党が賛成に回る様で、可決される公算が大きそうです。「表現の自由」に配慮して付帯決議がなされるという見通しの様ですが、はっきり言えば、そんなもの「配慮してない訳ではないですよ」というガス抜きの為の言い訳に過ぎません。
そもそも、わざわざ付帯決議を行う時点で、欠陥条例である事を認めたも同然ではないですか。
「表現の自由に配慮する」なんてのは、言うまでも無く当たり前なので、今更そんな事を改めて決議するなんて、何をかいわんや、です。
そして、たとえ付帯決議があったとしても、そんなものは、現実の運用で幾らでも骨抜きにできます。
非常に姑息なやり方ですが、常套手段でもあります。

しかし、たとえ可決されたとしても、それで終わりではない。
そして、たとえ否決されたとしても、それで終わりでもない。
「表現の自由」に関しては、ずっと継続して考え続けなくてはいけない問題だと思いますので、書いてみた次第です。

2010年9月15日水曜日

公務員組織の功罪について

このブログを見に来られる方の興味とは多少方向性の異なる話題かもしれませんが、ちょっと書いてみます。
最初にお断りしておきます。私はここで特定の思想信条に肩入れするつもりはありません。以下の文章では自らの信じるところを述べていますが、それ以外の考え方を必ずしも否定するものではありません。
従って、冷静な議論であれば(時間があり、かつ、私の気が向いた場合に限り)お受けします。気まぐれですから無視するかもしれませんし、途中で投げ出すかもしれません。あるいは何ヶ月も何年もお待たせするかもしれません。少なくとも喧嘩腰であったり揶揄する様な態度であれば、無視する確率は確実に高まります。
予め御了承ください。

さて、今回のきっかけは @kamezonia さんがまとめられたTogetter

公立病院の医師から見たお役所(公務員組織)を読んだ事です。


結論から言うと、ここで述べられている @slummy77 さんの見解に概ね同意します。
私も公立病院での勤務が結構長かったし、他の同僚に比べると行政職(いわゆる事務方と言うか、お役人)との交流も多めだったと感じています。そうした経験を踏まえた上で @slummy77 さんと同じ様な感想を抱いています。

私なりに、まとめ直してみます。
まず、公務員組織は個人に権限を持たせる構造になっていない。従って、自らの裁量で仕事するというのが著しく困難である。その為、ひとりひとりは決して悪い人ではない(個人的に良い人と悪い人との比率は、多分、他の職種と大差ないと想像する)けれども、組織の中で生きていくうちに、大部分の人は体制に順応したり開き直ったりする。ごく僅かな例外だけが、体制の隙間を縫って自らの裁量で仕事をする方策を見出すが、本当にそれは例外である。

この様に書いてみると、あたかも公務員個人に権限を持たせてもらえない事が諸悪の根源みたいに響きますが、現状がこういうシステムになっているのにも、ちゃんと理由があります。
公務員は、基本的に地位も身分も安定しています。そういう立場の人に権力を持たせるのは危険である、という考え方が基本にあるのでしょう。「権力はナマモノであり、極めて腐敗しやすい」のは、歴史が教える経験的事実です。ですから、同じ人に継続して権力を持たせる事は、なるべく避けるべきなのです。
という訳で、基本的に安定して働き続けられる公務員は権力を持ちません。Togetterの最後の方で @kamezonia さんが呟かれていた様に、良く問題になる「定期的な異動」にも、そういう側面があるのではないかと推測します。お役人がずっと同じ場所にいると、その存在自体が眼に見えない権力を持つ様になってくるからです。

では、誰が権力を持つのかと言うと、それは民意により交代させる事が可能な人です。地方自治体で言えば首長(知事、市長、町長、村長)であり、国で言えば総理大臣です。総理大臣は国民が直接選べませんが、国民が選んだ国会議員の投票により決まるので、間接的に選んでいると言えます。
以上より、公務員組織に対して希望通りに動いて欲しいと思ったら、首長選挙や国政選挙を通じて自分の考えに近い人に当選してもらえば良い、という事になります。
しかし(多くの人が感じている様に)それはあくまで「タテマエ」に過ぎません。実際には全然そうなってない。どうしてそうなっちゃうのか。

最も大きな理由は、首長や総理大臣の意向がなかなか行政に反映されないという点にあります。これには更に理由があります。行政組織は巨大であり全貌を把握するのは困難です。失礼な言い方ですが、首長や政治家は選挙に当選するのが最大の関心事(だって「落ちればタダの人」ですから)であり、当選した後にどう組織を運営していくかの具体策については、はっきり言って当選してから考える部分の方が多いのではないでしょうか。
役人出身の人が首長や政治家に選ばれる例が結構ありますが、これは本人と行政組織の双方にとって仕事がしやすいという利点があります。しかし、もしそういう理由でしか選べないとすれば、それは、何とも窮屈な「民意の反映」であると感じます(勿論これは、逆の立場の人を選ぶ場合にも言えます)。
一方で、行政組織には継続性が求められます。これにも功罪はありますが、利用する側からしても役所の対応がコロコロ変わっては困る部分も多いと思います。ですから、なかなか「変えよう」という話にはならず、どうしても「例年通り」「前例を踏襲」という方向に行ってしまいやすいのです。
そうこうしている間に、こうした状況の間隙を縫って、公務員組織の上の方にいる人達が事実上の権力を握ったりする場合もあり得ますので、それが更なる問題を引き起こしたりします。

ちょっとゴチャゴチャしてきたのでまとめますが「首長や政治家はきちんと選ばなければならない」けれども「ちゃんと選んだからといって上手く行くとは限らない」という、何とも萎える話になってしまいます。
これ、敢えて言うならば「現在の行政機構には歪みが出ており、もはや当初の設計通りに作動しているとは言い難い」という事だと考えます。やはりここは権力を分散して、公務員であっても地位に応じた権限を持てる様にする(しかし余分な権限を持ち過ぎない様にする)事が必要かもしれません。
これはとても大変な事ですが、政治を少しずつ変えていけば、何とかなるかもしれません。

そこで、最後に「政治を変えるにはどうしたら良いのか」を考えてみます。
勿論「選挙における投票行動」を通じて変えていくのが基本です。しかしそれだけで良いのでしょうか。
選挙における投票は国民の権利であると同時に義務でもあります(基本的に権利と義務とは表裏一体のものです)。しかしそれだけが権利と義務の全てではありません。

我々は全て、社会の構成員です。我々は誰でも、自らが属する社会の一員として(自らの観点から見て)社会がより良くなる様に求める権利があります。しかしそれは同時に、社会がより良くなっていく様に(自らの出来る範囲で)努力しなければならないという義務でもあります。
具体的に何をすべきかというのは、それぞれの立場によって異なります。繰り返しになりますが「自らの観点から見て良くなる様に、自らに出来る範囲で行う」のですから。

ただ、そうは言っても「今はとてもそんな事はやっていられない」「生きていくのに精一杯で、そんな余裕は無い」という方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そういう場合でも、誰にでも出来る事が、少なくとも一つ、あります。
それは「考え続ける事」です。
たとえお金が無くても考える事は出来ます。たとえ時間が無くても、寝る前に考えた疑問に対して目覚めた時に答えを思いつくという事もあります。常に「どうしたら良いか」を考え続ける事によって、状況が変化した際にすぐに対応が出来る様になります(スポーツにおけるイメージトレーニングと似ていますね)。
ですから、どうか皆さん、考える事を止めないでください。場合によっては、一旦結論が出た様に見えても、そこで止めずに更に考え続ける事も必要でしょう。

「なんだ、結局、結論は自己責任に丸投げかい!」なんて言わないでくださいね。我々の属する社会をどういう方向に持って行きたいかは、我々自身で考えるしかないのです。もし考える事を放棄すれば、それは結果として「どんな社会になっても構わない」という意思表示をしたのと同じ事になってしまうのですから。

(余談)
実は @slummy77 さんの事は、個人的に存じ上げています。私は本名を出しておりませんので先方からは解らないと思いますし、もう何年もお会いしていないのですが「相変わらず頑張っておられるなぁ」と感じました。

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