コミケを風疹から守り隊

2013年10月20日日曜日

近藤誠氏の「がんもどき理論(仮説)」の誤りと危険性

初回公開日:2013年10月20日
最終更新日:2013年10月30日
(2文字追加「遺伝子→遺伝子発現」しました。また「7.おまけ」を追記しました)


1.「がんもどき理論(仮説)」とは何か?

「がんもどき理論(仮説)」とは、慶応大学の放射線科医である近藤誠氏が言い出した事です。彼自身は「理論」だと主張していますが、私は単なる「仮説」だとみなしています(理由は後述)。
まずここでは、その内容をなるべく端的に示してみましょう。

1)がんには「がんもどき」と「真のがん」の2種類があるが、これらは見掛け上区別できない。
2)「がんもどき」は増殖速度もゆっくりで、浸潤も転移も起こさない。
3)従って「がんもどき」は慌てて治療する必要は無く、どうしても気になるなら、大きくなってから治療すれば良い。
4)「真のがん」はごく初期から浸潤・転移を起こす。
5)従って「真のがん」は発見された時点で既に治療しても無意味(生命予後を改善しない)である。
6)以上より、がんの早期発見・早期治療は無意味である。

この理論(仮説)には幾つものツッコミどころがありますので、以下に順次記載していきます。

2.「がんもどき」と「真のがん」しかないとする「二分法の罠」

がんには、様々な種類があります。中には、近藤氏が「がんもどき」と呼ぶものに近い「進行が極めて遅く、滅多に転移も起こさない」がんも確かにあります。また一方では、近藤氏が「真のがん」と呼ぶ様な、極めて進行が速く、診断がついてから僅か数日~数週間で亡くなってしまう例もあります。
しかし、これらはいずれも極端な例であり、そうではないがんも沢山あります。
「そうではないがん」とは「適切に治療すれば治るけれども、放置すれば死に至る」がんの事です。近藤氏の説は、こうした最もありふれた形である筈のがんを意図的に無視しています。
言わば、両極端だけを取り出して見せているのです。その為に「がんもどきなど存在しない」「真のがんなど存在しない」という形での反論は不可能になっていますが、それは本質ではありません。

もう一度書きます。
がんというのは、極めて多様な疾患であり、悪性度も様々です。そうした疾患を、たった2つに分けるだけならまだしも、その2つの性質が「丸っきり極端に違う」などと主張するのは、恣意的にも程があります(ここで「グラデーション主義」という言葉を思い出した人は、拙ブログの愛読者ですね。いつも有り難うございます)。

もしも、仮に、近藤氏の論が正しいとするならば「治療して治った(様に見える)がんは、実はがんもどきだった」という事になります。しかし実際には「手術してみたらリンパ節転移があった」という例は普通にあります。そういう(「がんもどき」とは言えない様な)がんでも、適切な治療により治っている人は沢山居ます(なお、近藤氏は「リンパ節転移は転移ではない」と主張していますが、だとすれば、どれほど多くのリンパ節転移があっても、どれほど遠方のリンパ節に転移していても問題ないという事になってしまいますので、これは自説の辻褄を合わせる為の強弁としか思えません)。
また一方で「ごく初期から浸潤・転移を起こすのは真のがんだから治療は無意味」とも言いますけれども、例えば「小さながんを内視鏡的に粘膜切除したところ、既に浸潤が始まっており血管やリンパ管に食い込んでいる」といった例も時々あります。その場合は追加手術を行う訳ですが、もし近藤氏が正しいのなら(不謹慎ながら)そういう方々は治療の甲斐も無く亡くなっていなければおかしい訳です。しかし現実には勿論違います。そういった(近藤氏に言わせれば「真のがん」とみなすべき)症例でも治っている方は大勢いらっしゃいます

3.「見分けがつかない」事と反証不能性

近藤氏によれば、がんもどきと真のがんとを見分けるのは不可能であり、放置して経過を見るしかないそうです。しかしこれはどう考えても暴論です。現代医学ではがん細胞の解析は遺伝子レベルで進められており、増殖・浸潤・転移に関係する遺伝子が次々に同定されてきています。
もしも、近藤説が正しいとするならば、たとえ「がんもどき」と「真のがん」が見かけ上区別つかないとしても、それらの極端な性質の違いは必ず遺伝子発現レベルでの大きな差異を反映している筈です。しかし幾ら研究してもそれを支持する証拠は出てきません。個人の印象ですが、むしろ調べれば調べるほど「がんの多様性」が明らかになってくるばかりだと感じています。

繰り返しになりますが、彼の言に従えば「見分けがつかない」のだから、見分ける為には放置して経過を見るしかない事になります。つまり、がんだと診断されても放置して、死ななければ「がんもどき」、死ねば「真のがん」だという訳です。
しかしこれは、2つの点で大きな問題があります。
1つは勿論、道義的な問題です。あるいは近藤氏は「どの道、治療してもしなくても、がんもどきなら死なないし、真のがんなら死ぬのだから、結局は同じ事」だと言いたいのかもしれません。
しかしそれは、あくまで近藤説が正しかった場合の話です。もしも近藤説が間違っていたとしたら、それは患者の見殺しに繋がります。近藤氏といえども医師の端くれの筈ですから「幾ら何でも、そんな人体実験モドキの行為はしないだろう」と、私もこれまでは思ってきました。しかし、彼の近著のタイトルを見た時には、思わず目を疑いました。
御存知の方も多いでしょう。
その名も「がん放置療法のすすめ」です。
「放置」は「療法」じゃねぇだろ、というツッコミはともかくとして、私には「自説の正しさを立証する為に患者に命を賭けさせている」としか思えないタイトルだったのです。

そして2つめの大きな問題は「そのやり方では近藤説の正しさは立証できない」点です。「放置して死ななければがんもどき、死んでしまえば真のがん」だと言うのなら、本来は多数を占める筈の「治療すれば治るけれども放置すれば死んでしまうがん」の患者さんはどうなるのでしょうか?
当然ながら、放置すれば、結局は亡くなります。
しかしその場合でも近藤氏は「あれは真のがんだった」と言い張れば済むでしょう。要するに「うまくいったら俺のおかげ、ダメだったら病気のせい」という訳です。
つまり近藤氏のやり方では、自説に有利な状況証拠は出てきますが、自説に不利な証拠は最初から出てきません。酷い言い方をすれば「その様に工夫されている」と言っても良いでしょう。最初から自説に有利な(所詮は状況証拠ですが)証拠しか出てこないと決まっている条件下でデータを積み重ねたところで、一体それにどれほどの価値があるのでしょうか?

これこそが、近藤説の反証不能性であり、私が「理論ではなく仮説だ」と述べている最大の理由なのです。

4.現代医療へのフリーライダー疑惑

近藤氏は、2014年3月に定年だそうです。定年後にがん研究所を作る予定だったのが、諸事情により前倒しして、セカンドオピニオン外来を始めたそうです。「30分まで31,500円」と言いますから、1日に8時間外来をやれば、それだけで50万円を越えます。結構なお値段ですね。
大学に何十年も籍を置いていながらロクに研究業績も上げられない人が「研究所」を作るのもどうかと思います。そして、同じ様な内容の本を何冊も書いて印税を稼いだ上に、それを宣伝に使って高額の自由診療を行うのが「研究所」の業務なのでしょうか。

さて、そこで行われる「診療」の内容とは何か。
概ね想像はつきます。
著書の内容と矛盾するのはおかしいですから、基本的には「手術はなるべく受けるな」「抗がん剤もなるべく使うな」といった内容が主体になる筈です。だからと言って、自分が代わりとなる治療を実施する訳でもないでしょう。要するに「言うだけ」ですよね。言っちゃ何ですが、気楽なものです。

では、彼の言う通りにして現実にがんが進行した人はどうなるのでしょうか?
その一つの例が、こちらにあります。
この映画に取り上げられている乳がんの方は、最後まで近藤氏を信じて18年間の闘病生活の末に生涯を閉じられました。しかし(ごく一部を除く、殆どの医師が同様のツッコミを入れると思いますが)初発の際には乳がんの大きさは僅か5ミリだったのです。その段階で手術をしていれば、極めて高い確率で治っていた筈です。18年はおろか、30年でも40年でも生きたかもしれません。しかもその間、本人が経験された様々な追加治療(と、それに伴う苦労や苦痛)も不要だった事でしょう。
ついでに書いておけば、まるで対比させるかの様に取り上げられている「子宮肉腫」は、悪性度が高く対処が難しい病気です。こちらの方が治療の甲斐無く亡くなられた事をもしも「現代医療の敗北」の様に描いているとすれば、それは、あからさまにズルいミスリードです。

この際ですから、はっきり書きましょう。

私に言わせれば、近藤氏は、現代医療の問題点を指摘すると称して、がんの不安と恐怖に苛まれる患者さんに耳当たりだけは良い甘言を吹き込んで標準医療を忌避させて金儲けをし、それでいて困った時だけは標準医療のお世話になっている人です。
私はこれまで、近藤氏が現代医療の問題点を指摘している点には傾聴すべき部分もあると思ってきました。しかし、この体たらくでは、吉村医院や(一部の)ホメオパスの人達がやっている事と大差ないと判断せざるを得ません。

5.近藤氏は本当に QOL (Quolity of life) を重視しているのか?

こちらのブログ記事を書かれた方は「近藤氏はQOL重視派」だと考えておられる様です。
QOLについて簡単に書くと「生活の質」と訳されます。例えば、抗がん剤の副作用に苦しみながら全身にチューブを繋がれて生き永らえるよりも、たとえ寿命が縮んでも最後まで自分の好きな様に生きられる方がQOLが高いと言われます。そう考えると、近藤氏はQOL重視派の様にも思えます。
しかし、本当にそうでしょうか。

例えば、前項の末尾に記した映画の件を見ると、本来なら治っていた筈の癌に18年間も苦しめられ続け最終的には亡くなってしまわれた訳です。これのどこがQOL重視なんだ、と思いますが。
あるいは「本人が勉強して納得して自分で決めたのなら、それで良いではないか、それこそがQOL重視だ」という意見もあるとは思います。確かに、形式的にはその言い分もアリかもしれません。しかしその意見には、複数の欠点があります。
1つは上述した如く、客観的には到底QOLが高いとは言い難い状態だった点です。本人も周囲も、強いて自らを納得させようとしていたのかもしれません。そしてもう1つは「そもそも情報が偏っていたのではないか」という疑惑です。ここまで述べてきた様な近藤氏への批判や、早期に手術すればほぼ完全な治癒が得られる事等の情報があれば、本人の判断が変化した可能性も十分に考えられます。
以上を一言でまとめるならば「『本人が納得していれば良い』は詐欺師の論理」だと言えます。

更に言うならば、仮に本人が納得していれば良いのだとしても、それが医療資源の浪費である事には変わりありません。最初に適切に治療しておけば、本人が受けた様々な追加治療や緩和ケアは不要だった筈だからです。単なる自己決定権(愚行権)の問題として片付けられないのは、こういった要素があるからです。

6.リンクと謝辞

近藤誠氏に関しては、ネット上にも様々な批判があります。今回はこれらの情報も大いに参考にさせて頂きました。一部ではありますが、以下にリンクを貼ると同時に御礼申し上げます。

近藤誠「医者に殺されない47の心得」-yoconivのブログ:近藤氏のもう一つの顔である「ワクチン否定派」の側面も見る事が出来ます。これを見ると、どうも現代医療そのものに対して否定的に考えがちな傾向がある様に思えます。
近藤誠医師の「抗がん剤は効かない」への反論:このまとめからリンクされている「がん治療の虚実」の一連の記事は、とても良いのですが、大部ですね(オマエが言うな?ゴメンナサイ)。
武田邦彦、近藤誠 トンデモ系専門家の読み方:武田邦彦氏批判も同時に読めてオトクな二本立て。ちょっと物議を醸しそうな書きぶり(オマエが言うな?ゴメンナサイ^2)ですが、内容は概ね妥当だと考えます。
「小町守の活動記録」さんより:ほぼ論理のみを武器にして近藤説の矛盾を衝いていく読み応えのある文章です。やや難解に感じる方がいらっしゃるかもしれませんが。

7.おまけ(2013年10月30日追記)

2013年10月26日付け朝日新聞b9面によると、近藤氏は次の様に述べています。
いつでも論争する準備はある。でも、面と向かって批判されたことはないよ。僕のことを批判する人たちは、本を読まないで批判しているだけだ
ふむ、なるほど。
随分と威勢の良い事です。

では、これは何なのでしょうか。
『白い巨塔』モデル医師 「根拠なき“がんもどき理論”を撤回せよ」
近藤誠医師「がんもどき理論」と『白い巨塔』モデル医師が直接対決
『白い巨塔』モデル医師 「がん放置療法」めぐり近藤誠医師と大激論
これらは「週刊朝日」誌2013年8月16・23日~9月20日号に掲載されたものの一部であり、それらをまとめたものがWeb新書としてオンライン販売されています。
「がんもどき理論を撤回せよ 近藤誠医師×神前五郎医師の白熱大論争」

「週刊朝日」誌上で「大論争」を繰り広げておきながら「朝日新聞」に対しては、しれっと「面と向かって批判されたことはない」などとおっしゃる。幾ら何でもこれは、草不可避(噴飯もの)でしょう。こんな態度の人とマトモに議論するのは難しそうです。
しかし御本人は「論争する準備はある」だそうです。一体、何の「準備」なのでしょうか。細かい点ですが「議論」ではなく「論争」という表現を使っている点も気になります。敢えて下司の勘繰りをすれば「炎上マーケティングに役立つ様な『論争』をする準備ならある。しかし、根拠に基づく冷静な『議論』をする準備などない」という事なのかもしれません。

ついでに言えば、媒体も気になります。朝日新聞の担当者は週刊朝日の内容を知らなかったのでしょうか。もし知らないとすればアンテナの低さは相当なものです。また、知っていたとすれば、それは「一方的に本人の言のみを垂れ流し」という事になります。もしかしたら、これは「報道ではない」から、お得意の「形ばかりの両論併記(それはそれで問題ですが)」すら不要、という判断なのでしょうか。
仮に、議論(論争ではなく)を行うとしても、こういった非対称的な取り上げ方をする媒体上で行うのは避けたいものです。

それから「批判する人たちは本を読まない」について。勿論これも誤りです。前項に挙げた複数のリンクを読んで頂けば解ると思いますが、どなたも近藤氏の本を読んだうえで批判している方ばかりです。更に上述の神前医師も近藤氏の本を読んだ上で反論なさっていますし、勿論、私自身も近藤氏の本を読んでおります。立ち読みで済ませたものもありますが、自腹を切って買い、僅かながら近藤氏の懐を潤わせるのに貢献した本も複数ございます。
という訳で「反論するならまず相手の言い分を聞け」というのは、実は、他ならぬ近藤氏自身にこそ、当て嵌まる内容なのですね。批判内容にもロクに目を通さずに「本を読んでない」と決めつける。つまり一言で言えばブーメランです。

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16 件のコメント:

  1. ガンモドキというのは『カルチノイド』の通称ではなかったでしょうか。

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    1. >北斗柄さん
      いらっしゃいませ、コメント有難うございます。
      結論から申しますと、近藤氏の言う「がんもどき」はカルチノイドとは別物です。
      カルチノイドを直訳すると確かに「がんの様なもの」となります(無理やり日本語に訳せば「類がん」とでもなるでしょう)。またその性質も通常のがんよりも良性に近い(良性と悪性の中間的な性質を持つ)疾患ですので、近藤氏の「がんもどき」に類似した部分もあります。
      しかし、カルチノイドは、がんと見分けが付きます。最も頻度の高い消化管のカルチノイドであれば内視鏡所見だけでもある程度見当が付きますし、組織片を採取して病理医が(特殊染色まで駆使して)診断を行えば、まず通常のがんと間違える事はありません。
      まとめますと、カルチノイドとは「がんと区別出来る、がんとは異なる病気」という事になります。

      ついでながらもう少し専門的な話をしますと、最近ではカルチノイドという名称を止めて神経内分泌腫瘍(NET)に統一しようというのが国際的な趨勢です。しかしこれには異論もあります。その代表的なものは「消化管に発生するいわゆるカルチノイドと膵に発生する神経内分泌腫瘍を一緒くたにして良いのか、これらは区別すべきではないか」という意見です。
      ですので、カルチノイドという名称自体が急に使われなくなる事は、当面は無いだろうと考えています。
      なお、NETにもカルチノイドを含めて様々な種類があり、良性に近いものから悪性度の高いものまで色々です。スティーブ・ジョブズの死因になったのも、膵のNET(の一種)です。

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  2. はじめまして。近藤医師の事を調べ直していてこちらを見つけました。
    近藤医師については逸見正孝氏が死去された頃に名前を聞くようになりましたが、逸見氏が受けた手術への批判にはある程度聞くべきところがあると思いました。しかし、がんもどき理論を主張し始めた頃から信用できないと思うようになりました。近藤氏に限らず、世間は学会や権威と逆のことを言う人の言葉を鵜呑みにする傾向があるように思います。理不尽な扱いを受けながら権力と闘う英雄のように見えるのでしょうか。私は医者でも研究者でもないので推測でしかありませんが、このような人達を大学や大学病院が解雇しないのは、多様な意見を圧殺しないという、いわば性善説のような考えが背景にあるのかも知れないと思っています。しかしそれも場合によりけりと思います。少なくとも、こうした命にかかわる事については学会などがきちんと反論する時期に来ているのではないでしょうか。
    ちなみに、私はこの著者の本は自腹を切って買いたくないと思う人物が3人いまして、一人は近藤氏、もう一人はゲーム脳理論(?)の森氏、最後が今回の投稿にも出てくる武田邦彦氏です。彼等の特徴のひとつに、自説に反論されると業界団体や関係機関が自分たちの利益を守るための批判させているのだ、というように話をすり替えることが多いことがあると思っています。またそうした言い分に説得力を感じる人が少なからずいるようで、これもやっかいな点だとおもいます。
    武田氏については原発問題以前に、専門外の環境問題(温暖化関連)に関する根拠の無い自説を吹聴したのが名を知られた最初だと記憶しています。確か、関西の人気番組で取り上げられたのがきっかけではなかったでしょうか。こちらは私の仕事にも少し関連する話でしたので興味を持って聞いていましたが、あまりにデタラメを言うのであきれてしまった覚えがあります。
    少し話が脱線しましたが、これからも時々拝見市に来ますのでよろしくお願いします。
    P.S 先日、母が近藤氏の「医者に殺されない47の心得」を購入していました。早速、「老人は少しくらい血圧が高い方がいいと書いてあった」などと言いますので、近藤氏の理論はとんでもないものが多い事や病院での職種などを説明しました。まだ近藤氏の理論を鵜呑みにするところまではいっていないようですが、近藤氏の主張に従うということは、自分の命をチップにして賭け事をしているようなものだということをよく説明してやりたいと思います。
    初めてなのに、長々と失礼いたしました。

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    1. >カルストさん
      いらっしゃいませ、コメント有難うございます。

      >近藤氏に限らず、世間は学会や権威と逆のことを言う人の言葉を鵜呑みにする傾向があるように思います。
      >理不尽な扱いを受けながら権力と闘う英雄のように見えるのでしょうか。

      そうかもしれません。こうした傾向が何故良くないのかと言いますと、確かに権威を鵜呑みにする態度も問題です。しかし、反権威を鵜呑みにするのもまた、ベクトルが逆なだけで思考停止に陥っているのは同じだからです。

      >このような人達を大学や大学病院が解雇しないのは、多様な意見を圧殺しないという、いわば性善説のような考えが背景にあるのかも知れないと思っています。

      それもあると思います。大学には「学問の自由」がありますから、原則的には、如何なる主義主張を持ち、かつ、それを表現するのも自由です。但し、それにも自ずから制限があります。それはカルストさんも

      >しかしそれも場合によりけりと思います。
      >少なくとも、こうした命にかかわる事については学会などがきちんと反論する時期に来ているのではないでしょうか。

      と仰っている通りです。もとより、反論するのも「言論の自由」の範疇であれば、何ら遠慮する事は無い訳です。だからこそ私もこうした記事を書いております。
      また、これは推測ですが、これまで学会などが(事実上)放置してきたのは、彼の説が余りにもバカバカしいからだと思います。そんなものまでいちいち相手にしている暇は無いと。
      ただ、そうやって放置している間に、徐々に問題が大きくなっていく傾向もあります(これはホメオパシーやEM菌などにも言える事です)。ですからどこかで歯止めを掛けるべきなのですが、殆どの学会というのがそれほどキッチリした組織を構築していない事が(これは学会の性質上仕方ないとも言えるのですが)、学会としての行動を難しくしている面もあると思います。

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  3. 今大手メディアは近藤理論への反論を渇望しているようです。
    思い切ってデビューしてください。応援しています。

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    1. >匿名さん

      「デビュー」とは、表舞台に出て近藤氏と対決すべし、という意味だと解釈しました。
      確かに、そうしたい気持ちもあります。しかし、幾つかの理由から(少なくとも当面は)「デビュー」は考えておりません。
      最大の理由は、そこまでの余力が無いからです。こうしてブログやTwitterで情報発信をしているだけでも、それなりの労力を使います。もし表に出て近藤氏と直接対決をしようとすれば、おそらく業務に支障をきたすでしょう。
      その他の理由については本文に追記しました「7.おまけ」の中にも書きましたので、そちらも御覧ください。

      最後に、予めお知らせしている通り、ハンドル(お名前)の設定をお願い致します。匿名でコメントされる方が2人以上いらっしゃると、誰がどの発言をしたのかが解らなくなってしまいますので。

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  4. 工藤憲雄(日本腫瘍マーカー研究会会員)2015年4月11日 21:32

    癌転移遺伝子産物が陰性の場合、主治医から「貴方はがんです」と告げられても100%がんでは死なないが陽性では100%死んでいる。発がん当初から臓器転移をしているからです。学会で発表されるようになったのは2007年以降からです。結果的に近藤理論を支持する知見です。陰性は「がんもどき」と言ってよいでしょう。

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    返信
    1. >工藤憲雄さま
      いらっしゃいませ。

      実は、頂いたコメントを公開するか、あるいは非公開のまま削除するか、いささか迷いました。理由を一言で述べるならば「宣伝のためのコメントである」と判断したからです。失礼ながらお名前で検索すると、他所のブログにもコメントされている様ですね。たとえばこちら http://blog.drnagao.com/2014/06/post-3971.html とか。同姓同名の別人でしたら申し訳ないのですが、内容からしても同一人物だと推察いたします。
      さてそちらのブログでも色々書かれている様ですが、要するに工藤様は、特許を取得した極めて有効性の高い腫瘍マーカーの測定系を確立されており無償で検査するけれども保険適用申請はしない、という事ですね。根拠論文らしきものが見当たらないのですが、日本腫瘍マーカー研究会での発表だけなのでしょうか?なおこの「日本腫瘍マーカー研究会」という組織、あくまで「研究会」であって厳密に言えば学会とは別物であるという認識でおります。
      そしてまた、その「癌転移遺伝子産物」(具体的に何を指しているのかが不明ですが)なるものが有効なマーカーであるとしても「100%」などという事を不用意に述べている時点で信憑性は極めて低くなります。少なくともマトモな研究者であれば、決して軽々にそんな事を断言したりはしません。
      仮にその「100%」が本当であれば、それは医学史上に残る、掛け値無しにノーベル賞級の業績ですから、ブログにコメントなどしている場合ではないと思います。
      あるいは工藤様は「純粋な善意」で行動されているのかもしれませんが、しかし内容的には全く信用に足るものではないと判断しております。

      という訳で、迷いながらもコメントを公開しましたのは、こうしてお返事を書く事が読者への注意喚起にもなるだろうと考えたからです。失礼の段はお詫びします。

      削除
    2. 工藤憲雄(日本分子腫瘍マーカー研究会会員)2015年6月11日 19:11

      PseuDoctor様 私へのコメントありがとうございます。「癌転移遺伝子産物」の発見には私がリーダーとなり東京大・理研・群馬大学・国立がんセンターなどの研究員達によるプロジェクトです。科学技術振興機構から開発資金が供与されています。2件の特許を取得していますが残り3件の取得を目指しています。医学系学会に一つも所属していない私に入会を熱心に複数の学会か誘いがありましたが40年にわたってバイオマーカー探索をしてきていましたので日本腫瘍マーカー研究会に入会した次第です。知財獲得競争は熾烈を極め癌関連にかんする知財の90%以上が欧米なのです。結論から言いますとプロジェクト参加者全員が100%は本当との結論です。100%の根拠は発見以来19年間の実績をもとにしております。貴方様には19年間100%では心もとないということでしょうか?。

      削除
    3. >工藤様
      お返事が遅くなりました。
      結論から申しますと、前回も書きました通り「宣伝の為のコメント」という判断は変わりません。何故なら、内容が具体性に欠けるからです。
      まず、機構から資金供与を受けているのなら、プロジェクト名を明記出来る筈です。それと、特許を得ているのなら、特許番号も書ける筈ですよね。公開情報なのですから。
      最後に「全員が100%は本当」というのは酷いですね。前回も書きました通り、これの何処が酷いのかお分かりにならないのであれば、誠に失礼ながら貴方は研究者としてのレベルに達していないと断言できます。

      削除
    4. 「がん転移遺伝子は一種類しか存在していなかった」の論文をお読みくだされば特許番号及びがん転移遺伝子の存在する遺伝子DNA配列も記載されています。プロジェクト名も記載しています。研究者の実名も記載されています。私はご紹介しているだけです。あまりカッカなさらないでください。国内外のがん関連学会誌にも論文知見が掲載されています。

      削除
    5. >工藤さん
      大変お返事が遅くなりました。
      そうですか、工藤さんには私が「カッカしている」様に見えるのですね。もしその様に見えたとすれば、それは工藤さんのコメント内容に呆れ果てているからでしょう。勿論、今回頂いた内容も含めて。
      と言いますのも、ようやく論文(らしきもの)のタイトル(らしきもの)をお書きになったかと思えば、それが何という本の何処に載っているのかという情報は一切無し。そんなんで良く「お読みくだされば」などと言えたものですね。存在すら定かではないものを、どうやって「読め」というのでしょうか。もしマトモな学術雑誌に掲載された学術論文であるならば、何という雑誌の何巻何号何頁に載っているかを示すのが当然です。
      これは別に私が難癖を付けているのではなくて、学術論文というものを書いたり読んだり紹介したりする際の当たり前のルールです。それを知っていて守らないのであれば悪質(確信犯的)ですし、知らないのであれば論文を書いた事はおろか真面目に読んだ事も無いという事になりますね。工藤さんがどちらであるかは存じませんが、どちらであったとしても「マトモに相手をするのに値しない」という一点には変わりありません。
      あるいは「示したくても示せない」のかもしれませんね。実は「論文とは名ばかりでパンフレットに載せた宣伝用の文章に過ぎない」とか、そういう事なのかもしれません。

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  5. はじめまして。
    はじめまして、なのに、長々とすみません。私は近藤論はかなり正しいと思っていますので、ご意見が伺えたらと思い、コメントします。お時間があるときで結構ですので、いつか、教えていただけるとうれしいです。


    私が、近藤説を信じる理由。いろいろありますが,一番大きなものを書きます・・というか、質問です。

    先生は、
     名医の「有害な治療」「死を早める手術」 (だいわ文庫)
    読みましたでしょうか?
    この本の良い所は、対談であるところ。反近藤論者たちとの対談は、(難解ですが)勉強になりました。

    大阪府立成人病センター調査部長 大島明氏 との対談で、がん検診の有効性を調べた論文--メイヨーラングスタディ(肺がん検診のRCT)p106  マルメスタディ(乳がんの検診のRCT)p112 が出てきます。
    (メイヨーは、6.リンクと謝辞 にある「小町守の活動記録」さんに出てくるものと同じでしょう)
    メイヨーは有効性を否定、マルメは有効性ありという結論でした。

    まず、これらの論文について、信憑性が薄いとか言った批判はなく信頼の置ける論文であろうということ。
    「それらの結果、肺がん検診の有効性は否定され、欧米では肺がん検診を取りやめました。」という言うくらいですから。

    マルメの方は、有効性を否定していませんが、結果はお粗末です。
    42000人の女性をマンモ検診群と対照群に分け、10年間調べた結果、対照群で乳がんにより66名亡くなったが、検診群では63名だった、というもの。
    少しでも減っているから検診は有効・・?

    ここで疑問なのは、巷では「早期発見・早期治療をすればほとんど治る」と喧伝されていること。先生も「その段階で手術をしていれば、極めて高い確率で治っていた筈です。」と言い切っていますよね。
    ほとんど治るなら、検診群の死亡者はもっとずっと少なくてもいいのではないですか? 2万人が10年にわたって検診を受けて(おそらくがんと言われた人たちは治療も受けて)たった3人しか減っていない。
    「ほとんど治る」と聞けば、3人しか死ななかった位の事を期待するのですが・・・


    この疑問の谷間を埋めることができないのです。
    これを一番良く説明できるのが、「がんもどき」であろうと思います。
     検診をする→自覚のない小さながんを見つける→治療する→治る
    これが何例もあるなら、必ず死亡率が大きく下がるはずです。論文に幾つか微妙な点があるとしても、もっといい数字が出てしかるべきでは?
    「死亡率が変わらない= 検診で見つけたガンは治療してもしなくても死亡に関係ない= がんもどき」
    そのほかに、説明のしようがあるのでしょうか?

    もっと恐ろしいのは、治療を受けているであろうこと。早期発見して「早期治療」しても死亡率が変わらない(少ししか減らない)なら、治療そのものも意味が無い(少ない)のでは?
    なら、放置でよろしい、ってことになってしまいます。


    がん検診をすると死亡率はどのくらい下がるのでしょうか?
    ネットでいくら探しても、○%下がると明言しているものを見つけることができませんでした。
    ガン関連の統計は厚労省やらがんセンターやらにたくさんあるにも関わらず、ない・あるいは簡単には見つからないところにしかないということのようです。
    このあたりも、近藤説が多くの支持を受ける土壌ではないかと思っています。

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    返信
    1. >春風さん
      いらっしゃいませ、コメント有難うございます。
      お返事が遅くなって申し訳ありません。
      とても真面目かつ論理的に書かれている御意見で、大いに参考になります。私とは違う意見の方からこうしたコメントを頂くのは、身の引き締まる思いです。

      さて、御紹介の本は未読ですが御意見の主旨は解りました。要するに「検診してもがん死が減らないというデータがある。近藤説ならこの現象を説明できる」という事ですね。
      確かに「検診は有効なのか」という問題に関しては議論の余地があります(勿論、がんの種類にもよりますが)。しかし、たとえ検診の有効性が否定されたとしても、そこから一足飛びに近藤説に行ってしまうのは、いささか飛躍が過ぎます。近藤説は確かに検診無効論を上手く説明できる説ではありますが、近藤説でなければ説明できないというものでもありません。
      ポイントは幾つかありますが、最大のものは「未検診群であっても、がんが見つかれば適切な治療を受けた筈」という点です。近藤説が正しければ「治療してもしなくても予後は変わらない」筈ですから、本来なら治療群と未治療群とを比較して差が出ない事を証明すべきです。しかし、そういうデータはありません。未検診であってもがんが見つかれば治療する筈ですし、しかもその内容は画一的なものではなく、がんの進行度によって異なります。即ちがんが大きければ切除範囲も広くなりますし、リンパ節転移等があれば術後化学療法が追加されるかもしれません。そういった「病期に応じて適切な治療が行われた」という前提があってはじめて「未検診群でも死者は増えない」という結果が出ているのだと考えます。つまり一言で言えば「見つかってから治療しても間に合う」という事です。近藤説を前提にしなくても検診無効論は説明可能なのです。
      但しこれは、必ずしも検診の有効性を否定するものでもありません。何故なら「死ぬかどうか」という観点でしか比較していないから、言い換えればQOLを考慮に入れていない議論だからです。たとえ生命予後が変わらないとしても、例えば乳がんであれば、進行度によって乳房を残せるか全部取らなければならないかの違いはありますし、術後合併症にも差が出るからです。
      もう一点述べておきますと、上で「治療群と未治療群を比較したデータは無い」と書きましたが、実はそれに類似したデータならあります。新しい治療法が実用化される際には、それが新しい術式であれ、新しい抗がん剤であれ、近代の医学では「従来の治療法と比べて優れている(点がある)」事が示されなければ実用化されません。つまり、従来の治療群と新しい治療群とを比較する訳です。その様にして、より有効性の高い治療法に置き換えられていく、それが医学の進歩(の一部)なのです。近藤氏も「放置療法」などという言葉を使うのであれば、その「療法」とやらが従来の治療に比べて優れている(少なくとも遜色の無い)事を示す義務があります。これは別に意地悪で言っているのではなく「未治療で放置されたがん患者の症例」を日本で一番多く集めているのは近藤氏の所だと思うからです。それだけのデータがある筈ですから、自説の正しさをデータで示せば良いでしょうに。

      更に付け加えるならば、もし近藤説が正しいのであれば、彼の元にはいわゆる「がんもどき」の症例も集まってきている筈です。即ち「他の医者にはがんだと言われたけれど、放置した結果全く進行せずそのままの状態でそこにある」という症例です。本文にも書いた通り、確かにそういう症例も少数ながら存在しますが、近藤説が正しいのならもっとゴロゴロ見つからなければおかしいと思います。自説を補強するまたとない症例である筈なのに、寡聞にして何故か近藤氏の元にはそういう症例が集まっているとは聞かないですね。

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    2. 春風です。

      お返事ありがとうございます。

      お返事は頂けないものと思いあまりチェックしていなかったのと、お返事を読んであれこれと考えていたために、お礼が遅くなってしまい、すみませんでした。

      しかしながら、納得はできませんでした。

      「見つかってから治療しても間に合う」というのは、全く仰るとおりで通りで、QOLを考慮すれば、治療が無駄ということにはならないのでしょう。

      間に合った人はいいのですが、問題は、死亡した場合。
      検診で小さなガンを早期発見し治療しても、大きくなってから治療しても同じように亡くなってしまう。死亡率が下がらないというのはこういうことを意味していますよね?


      なぜ、早期発見・早期治療をしても助からないのか?

      がんもどき理論は、従来の「多段階悪性化説」(というのかどうか?)に対する反論です。
      「多段階・・」というのは、一般に言われている、
         はじめは良性→悪性化して増殖→更に悪性化して転移が始まる
      のように、だんだんと悪性化するという考えです。
      この考えに基づけば、早期治療すれば、良性のうちに、あるいは転移する前に治療できるから助かる、となります。
      検診で早期発見しても死亡が減らないことと矛盾しませんか。


      がんもどき理論は、ガンの性質は発生時に決まっており、途中で変わることは殆ど無い、とします。

      がんもどき理論では、ガンを「本物」「もどき」の2つにわけます。
      多様な疾患を2つに分けるのはおかしい、と書かれていますが、2つのわけかたは明解です。
        「本物」は臓器転移する・「もどき」はしない
      するかしないか、ですから、2つに分けることに無理があるとは思えません。
      (ただ、浸潤については、どのような扱いなのか理解できないでいます。)

      臓器転移しなければ死なないわけではないでしょうけど、臓器転移があれば助からない(と近藤先生は言っています)

      そして、転移するガンは発生初期から転移する・・・検診で見つけた時はとっくに転移しているから、助からない。
      転移しないガンは、大きくなっても転移しないから、症状が出てから治療しても間に合う。
      早期治療しても死亡が減らないことをうまく説明しています。
      というか、それ以外には説明のしようがないのではないでしょうか?


      発見が遅れても適切な治療で助かる、と書かれていましたが、その間に臓器転移が発生すれば助かりませんよね?
      段階的に悪性化すると考えれば、遅れれば遅れるだけ転移が発生し、症状が出てからでは間に合わない人が出てくるはずでは。


      神前医師との対談でも、段階的に悪性化するか最初から決まっているか、が焦点だったと思います。
      「段階的に悪性化」することは常識のようにいわれていますし、私もずっとそう思っておりました。
      対談を読んでも、「段階的に悪性化する証拠」はないんだなあ、と思いました。


      がんもどきの症例ですが、「がん放置療法のすすめ」には、幾つも出ています。納得のいく症例がなかったということなのでしょうか。
      残念です。

      ともあれ、お返事有り難うございました。


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    3. >春風さん

      コメント有難うございます。
      こちらこそ、いつもコメント公開&お返事が遅くなってしまって申し訳ありません。ゆるくやっていますので、気が向いた時にコメントなさったりなさらなかったりすれば宜しいかと存じます。

      さて「納得いかなかった」との由、私としては残念ではありますが、しかし考えてみれば、春風さんがこれまで色々とお考えになられて出された結論を、たったコメント1つで覆そうというのも無理があるかな、と考えて自分を慰めています。
      とは言え、それだけで終わりにするのもあんまりですから、前回コメントとの重複を恐れずに、もう少しだけ書いてみます。

      もし近藤説が正しいとすれば。
      「早期発見・早期治療に意味が無い」だけではなく、「治療そのものに意味が無い」となる筈です。「真のがん」なら発見時に既に転移が始まっている筈であり「がんもどき」ならどれほど大きくなっても転移しない筈ですから。従って、治療群と未治療群とを比較しても致死率は変わらない筈です。
      しかし実際にはそんな事はありません。これは前回も書いた通りです。

      それから、これは本文にも書きましたが、私も近藤氏の言う所の「真のがん」や「がんもどき」に相当する病変の存在を否定している訳ではありません。否定しているのは「その2種類しかない」とする彼の極論です。実際の病変には悪性度も様々なバリエーションがあります。
      彼の言う「真のがん」が存在する為に、早期発見しても死亡する人がいらっしゃいます。ですからその意味で「検診は無意味」とする主張には耳を傾けるべき点もあります。具体的に言えば、臓器により検診の有効性は大きく異なると考えます。例えば甲状腺の様な臓器では、早期発見・早期治療の意義は小さい(害の方が大きい)と考えています。
      しかしそれは、近藤説とは似て非なるものです。彼の最も罪深い所は、検診の否定に留まらず「適切に治療を行えば助かる筈の人まで治療から遠ざけてしまい結果として命を縮める」という点にあります。

      それとこれは私の書き方が悪かったので申し訳ないのですが「がんもどき」の症例、即ち「がんと言われたけれど放置していて全く進行しない症例」が存在するとしても、それは近藤説の証明にはなりません。先程書きました通り、そういう種類のがん「も」存在するからです。

      ちょっとまだ言葉が足りずに言い尽くせない部分も多々あります。確かに近藤説は辻褄が合う様に良く考えられて作られた説だと思います。ですからその間違いを解り易く説明するのはなかなか大変な事だと感じています。
      私の書いたものが(たとえ肯定的に受け取られなかったとしても)春風さんが色々とお考えになるきっかけになれば幸いです。

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