コミケを風疹から守り隊

2012年9月11日火曜日

S03-03: 科学って、メカニズムを解明する事だけ?

初回公開日:2012年09月11日
最終更新日:2012年09月27日

(2012年09月27日更新:novtanさんの御指摘により、aggren0xさんのidを訂正しました。大変失礼致しました。コメント欄も御覧ください)

1.「メカニズムを解明することだけが科学である」という誤解

ニセ科学を信奉する人が、批判者に対して反論してくるテンプレートの中に「現代科学で説明のつかない事実を、説明がつかないという理由で切り捨ててしまうのはおかしい」という台詞があります。
この言い分には、ごく僅かの真実と多くの間違いが含まれていますので、それらの点が明らかになる様に述べていく事にします。



2.「メカニズムの解明」は科学の主要な目的ではあるが、全てではない

科学の代表的な分野である自然科学は「自然を記述する学問である」と言われます。これは簡単に言えば「自然現象を観察して記録し、それがどの様にして生じているのかを調べ、併せて記録する事」です。
ここには2つの要素が含まれています。即ち「どういう自然現象が起こっているのか」と「それはどの様にして生じているのか」です。言い換えれば「現象の存在を観察して記録する事」と「現象のメカニズムを解明して記録する事」の2つです。つまり、メカニズムの解明は確かに重要な要素ですが、それを行う為には、それに先立って「現象の存在」が「観察と記録」によって成されていなければなりません。これは考えてみれば当たり前なのであって、実際に起きているかどうかすら定かではない事柄に関して「メカニズムを解明しろ」なんて言ったところで、マトモに相手にされる筈がないですよね。

ところが、ニセ科学の信奉者は、そこのところがメチャクチャ甘いのです。彼らが「現代科学では説明出来ない事実」と称するものは、偶然・思い込み・インチキのいずれかで説明できるものばかりです。もし本当に科学の土俵で勝負するつもりがあるのなら、まず、そういう「現代科学では説明のつかない現象」とやらが存在する事をキチンと示す必要があります。この「キチンと」という部分が大切なのです。いい加減に示すだけなら簡単ですが、キチンと示そうとした途端、その現象とやらは消えうせてしまう。それこそが偶然や思い込みの産物である証拠なのです。

では「キチンと」とは何か。
別のところにも書きましたが、それは「客観性と再現性」です。条件を揃えて行えば、誰がやっても、何回行っても同じ結果が出る事が大切です。勿論、ものによって、バラつきはありますよ。偶然の要素が含まれるものもあります。しかし、条件を揃えて繰り返し行った場合(あるいは、繰り返して観察した場合)に、偶然に起こる確率を越えて生じているという事を示す必要があるのです。そうでなければ相手にされません。

例えば「水からの伝言」では、綺麗な結晶を選んで写真に撮っていますし、EM菌に至っては第三者による検証を拒否する始末。これでは、現象が存在するなんて、全く言えませんね。
しかもその上、存在するかどうかも解らない現象を説明するのに、独自理論(という名前の屁理屈未満の妄言)を振り回して説明出来た様なフリをする。そしてその「独自理論」とやらが既存の科学と矛盾している事を指摘されると「現代科学では説明出来ない」等と逆切れする。
つまり、何重にも間違いを積み重ねているので、一言で言えばメチャクチャなのです。

3.本当の「現代科学では解明できない現象」には、科学者は全力で食い付く

さて、皆さん。
皆さんは、科学者は何で飯を食っていると思いますか?
一般の人に科学の内容を説明する事?うん、それもとっても大切です。しかし(真に残念ながら)それは本業ではありません。
科学者の本業と言えば、やはり、研究です。
そして、研究とは何かと言いますと、それこそ、ここまで述べてきた事に大きく関わっています。
即ち、科学者の研究とは、大雑把に言えば
1)未知の現象を発見する事
2)既知の現象のメカニズムを解明する事
の2つから成っています。これまで全く知られていなかった未知の現象を初めて発見すれば、それは科学者にとって飯の種になるだけではなく、大いなる名誉でもあります。また、既知ではあるけれども、これまで説明のついていなかった現象のメカニズムを(たとえ一部であっても)解明すれば、それもまた飯の種でもあり、名誉でもあります。

ですから、殆ど全ての科学者は、鵜の目鷹の目で未知の現象を探し求めたり、既知の現象のメカニズムを説明できそうな理屈を考えては、それを証明する為の実験を組んだりしています。
という訳で、ちょっと考えてみてください。
もしも、もしも本当に「現代科学では説明のつかない未知の現象」が存在するとしたら、そこら中の科学者がヨダレを流して全力で食い付いて来ますよ(下品で失礼)。でもそれは確実です。間違いありません。だってそれは、科学者にとって飯と名誉の種そのものですから。「既存の科学で説明出来ない現象」なんて、殆ど全ての科学者にとって、この上なくおいしいネタなのです。
でも実際には(とてもそそっかしいごく一部の人を除いては)食い付いたりしてませんよね。それは、ニセ科学の信奉者側が言う様に「どうせ科学者なんて既存の価値観に支配されている権威主義者だから」なんていう訳ではありません。全然違います。そうではなくて、その現象とやらがマトモに相手するに足るものではない事が、すぐに解ってしまうからなのです。
本気で未知の現象を探し求めているからこそ、いい加減なものに関わっているヒマなど無いのです。

4.じゃあ「メカニズムが不明でも現象が存在する」事を示すにはどうしたら良いの?

実験で再現できる事柄であれば、条件を整えて実験を行えば、その現象の存在を示す事が出来ます。
もし、実験での再現が難しい純然たる自然現象であれば、同じ条件の時に同じ自然現象が生じる事が観測出来れば良いでしょう。

しかし、自然現象や社会現象の多くは、条件を揃えて観察するという事が難しいです。更に難しいのは「ある確率で発生する」ものを見つけ出す事です。確率的にしか発生しない事象が、全くの偶然なのか、それとも何かと関連があるのか?
こういった時に極めて有効なのが、疫学的な手法です。
繰り返しますが、疫学は、メカニズムが不明な場合でも未知の現象を検出する事が出来る、極めて強力なツールなのです。
メカニズム論を重視する人の中には疫学的な手法を軽視する人も居ます。しかしそれは狭量であると言わざるを得ません。メカニズム論は勿論重要ですが、疫学も同様に重要なのですから。

丁度先日「妊婦の血液検査でダウン症の診断」という報道がありました。その中で「精度99%以上」という表現がありましたが、普通の人がこれを聞くと「この検査が陽性だったら、99%以上の確率でダウン症だという事だな」と思うかもしれません。
しかし、それは間違いです。
詳しくは「aggren0xの日記」さんの記事を御覧頂ければと思いますが、そこで解説されている内容はまさに疫学の基礎なのです。この記事に書かれている内容をスラスラ理解出来る人は良いのですが、おそらくそうではない人の方が多い事でしょう。
という訳で、私もいつの日か「体験談は何故当てにならないか~2×2表で解る疫学の基礎~(仮題)」みたいな記事を書きたいと思っているのですが、いつになる事やらフゥ

5.まとめ

まとめと結論を延べます。
科学では、現象の存在を確認する事と、現象のメカニズムを解明する事の2つが大きな柱です。
たとえメカニズムが未解明であったとしても、未知の現象が確実に存在する事を示せれば、それは立派に科学の俎上に乗ったと言えますし、科学者だって放ってはおかないでしょう。
逆に、それがキチンと示せないうちは、マトモに相手をして貰えるなんて思ってはいけません。


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3 件のコメント:

  1. こんにちは。いつも楽しく読ませていただいています!

    ちょっとtypoを見つけちゃったので
    「annren0xの日記」さんの記事→「aggren0xの日記」さんの記事

    ではでは。

    返信削除
    返信
    1. >novtanさん
      いらっしゃいませ。
      今はスマフォでしかアクセス出来ない状態ですので、本文の修正は後日になってしまいますが、取り敢えず御指摘に御礼申し上げます。
      有り難うございました。
      そして勿論、aggren0xさんには深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

      削除
    2. aggren0xさんのidを訂正致しました。改めて、失礼しました。

      ついでと言っては何ですが、少し、はてブコメのうち幾つかにお返事してみたいと思います。
      http://b.hatena.ne.jp/entry?mode=more&url=http%3A%2F%2Fpseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com%2F2012%2F09%2Fs03-03.html

      >id:tikani_nemuru_Mさん
      「疫学こそが科学」とまで言い切ると怒る人が居るかもしれないので、私は「疫学は科学の欠くべからざる要素」という表現に留めておきます。まぁ、程度問題ですが(^^)

      >id:NOV1975(novtan)さん
      novtanさん、はてブでも御指摘頂いていたのですね。重ねて、有り難うございます。

      >id:alpinix(あるぴにっくす)さん
      ”人は何故「悪者を決め付けるタイプ」の体験談に飛びつき易いのかに関する心理学的考察”を御希望との事。なかなか難しいお題です(^^; 私としては、取り敢えず「何故体験談は当てにならないか」を科学の方法論と絡めて論じてみたいと考えています。

      >id:arakik10(あらきけいすけ)さん
      うぅむ「杜撰な話の進め方」ですか。
      あらきさんが何故そう思われたのかは推測するしかありませんが、確かに読み返してみると、私自身から見ても「その様に取られても仕方ないかな」と思える部分が2点ほどありました。ですので、ちょっと言い訳というか、補足をしてみます。

      1つ目は、全体として論考に丁寧さが欠けるかな、という印象がある事です。これは、最近どんどん記事が長くなる傾向にある(爆)ので、意識的に記載を短くしようとした点が影響しているのかもしれません。
      そして、2つ目の、より本質的な点は「今回の記事は『科学』カテゴリの記事であって『ニセ科学』カテゴリの記事ではない」という事です。言い換えれば、今回の記事は「ニセ科学をニセだと論証する為のものではない」のです。実際にはむしろ逆で、ニセ科学がニセである事を所与の前提として、それを例示とする事で「科学とはメカニズムを解明する事だけじゃないよ」という結論にもっていきたかったのです。
      しかし実際の記事では「ニセ科学批判」と読める部分に多くの分量を割いてしまいました。これは私の「ニセ科学(特にEM菌とか)が相変わらず蔓延っている事に対する苛立ち」が反映されたものだと思って頂きたいのですが、確かに反省すべき点でもあります。何故なら、この記事を「ニセ科学批判」として読んでしまうと「ニセ科学がニセである事の論証には不充分である」からです。その為、あたかも「ニセ科学を批判したいという結論ありきの文章」という読み方も出来てしまうからです。
      だとすれば「杜撰な話の進め方」という感想を頂く事もあるだろうな、と思います。但し「今回の私の意図は違うのですよ」という言い訳は、させて頂きました(^^ヾ

      削除

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