コミケを風疹から守り隊

2013年6月26日水曜日

ネットでの炎上と自殺について

初回公開日:2013年06月26日
最終更新日:2013年06月26日


1.はじめに(本記事を書いた動機)

既に報道されている通り、病院批判によりブログが炎上した岩手県議が2013年6月25日に死亡し、自殺の可能性も取り沙汰されています。
まずは遺族と関係者の方々にお悔やみを申し上げます。
簡単に経緯を書きますと

自ブログで県立病院を批判→炎上→ブログ上にて謝罪→炎上止まず→ブログ閉鎖→記者会見にて謝罪→TVでも取り上げられる→死亡

という流れです。
私自身も「週間PseuDoctor」において彼の行動を批判しました(この発言から続く2つの呟きです)ので、直接関わっていないとはいえ、炎上に関しては責任が皆無とも思いません。その点を認識したうえで(認識したからこそ)、今回は「炎上と自殺」について少し書いてみたいと思います。


2.炎上について

まず、この記事では「炎上」の定義を「ブログやTwitterにおいて、多数の人が一斉ないし同時多発的に批判的なコメントやメンションを付ける事」とします。

ネットでは、炎上はしばしば起こります。但し、全く情報発信を行わなければ炎上も起こりません。炎上を起こさずに情報発信しようとすれば、ブログのコメント欄を閉鎖し、Twitterも鍵アカウントにするべきでしょう。しかしそれでは、情報発信の大きなメリット(受け手からのフィードバック)の大部分が失われてしまいますので、バランスが難しいところです。因みに、そうした要素(だけではありませんが)も考慮したうえで、拙ブログではコメントを承認制にしています。
ですから、受け手からのフィードバックを伴う(双方向の)情報発信を行っている限り、炎上の発生は不可避な(自然発生的に起こり得る)ものだと考えます。
ですから他人事ではありません。

ここで、炎上に際しては質的な要素と量的な要素があると考えますので、それらについて述べます。
まず、質的な要素です。
炎上が発生する際には「死ね」等の乱暴な言葉が飛び交う事が多いです。これはヘイトスピーチと同じであり、そういう表現自体を看過すべきではありません。私は、表現の自由は極めて重要ですが「ヘイトスピーチは表現の自由では保護されない」と考えています。何故ならヘイトスピーチは他者の人権を侵害する行為だからです。
Twitter等で気軽に「死ね」等と発言する方は、おそらく普段から仲間内で比較的カジュアルにそういう言葉を使っているのではないかと推測します。なのでそういう言葉に対する禁忌感覚が薄いのではないかと。
しかし、ここで考えて頂きたいのは「仲間内と他人に対するのとは違う」という点です。例えば「死ねばいいのに」でも「アンタ馬鹿ァ?」でも、文脈を共有している仲間内(あるいはクラスタ内)であれば許容されるかもしれません。しかし文脈を共有していない他人に対して発すれば、それはヘイトスピーチや差別行為を構成し得るのです。
つまり一言で述べれば「他人には礼儀正しくしましょう」という事です。当たり前かもしれませんが、これを皆が守れれば、炎上のかなりの部分は防げると思います。

次に、量的な問題です。
如何に礼儀正しく当を得た批判であったとしても、それが数百、数千、数万と降り掛かってくれば、個人に対しては大変なプレッシャーになります。特にTwitterでは、どのくらいメンションが来ているのか、本人以外には通常は見えないという特徴があります。ですから、批判する側からすれば「気軽な一言」であっても、批判される側には物凄い圧力であるという場合も有り得ます。
ですから、少なくとも「尻馬に乗る」とか「数を頼む」という様な行為は控えた方が良いでしょう。議論は、本来は多数決ではありません。数が多いから正しいとは限らないのです。そもそも、もしも多数決だと言うのなら、相手が1人の場合は2人以上の批判意見があれば決まってしまいますので、炎上させる必要など全く無い事になってしまいます。
そしてもし、議論ではないと言うのなら、それは吊し上げであり、私刑(リンチ)と同じ事です。どうも最近では一般の方々だけでなく政治に携わる人達まで私刑的なものを好む風潮にある様に思えて仕方ありません。これは極めてマズい傾向です。
意図せずにそうなってしまう場合は仕方ないとしても、基本的には「大勢で1人を叩く行為は卑怯である」「反省を表明している相手に対しては、態度や行動が改まったかどうかを将来に向けて注視していくべきであり、無闇に追い討ちを掛けるべきではない」という認識は持つべきだと思います。

3.自殺の是非

私は、基本的には自殺に反対です。それは、私自身の職業柄、生きたくても生きられなかった人に接する機会が(普通の人に比べれば)多い事が影響しているのかもしれません。(ウルトラマンの最終回の様に)もしも命を分け与える事が出来るのであれば、是非とも分けて欲しいと強く思う位です。

更に言えば私は、自殺そのものに反対であるばかりでなく「自殺を問題解決の手段に使う事」にも強く反対します(これは後述する「WHOのガイドライン」にも取り上げられています)。
一般的に、相手が自殺すると、どうしても批判は弱まります。甚だしい場合には「命を賭して自らの正しさを証明した」みたいに言う人が出てくる場合すらあります。
しかし、その考え方は間違っています。
自殺は決して「正しさの証明」などではありません。
もしも反論を封じる為に自殺したのだとすれば、それは正しさの証明ではなく「当てつけ」です。

止むに止まれぬ事情に追い詰められて最後の手段として自殺を選ばれた方々はお気の毒だと思いますし、それが不況等の社会状況に起因するものであるならば、そうした状況が改善されるべきだと考えます。
しかしそれらを考慮した上でも敢えて「自殺そのものには反対である」と繰り返させて頂きます。
ついでに申し上げれば、私はたとえ相手がどれほどの極悪人であったとしても(今回の県議が極悪人という意味ではありません)「死ね」とまでは思いません。何故なら、生き続ける方が死ぬよりも辛いと考えているからです。私が考える最も辛い罰とは「自らの罪を完全に正確に理解し認識したうえで、一生それを背負って生き続ける事」だからです。

4.表現の自由と発言の責任

この事件を受けても、私自身の情報発信に対するスタンスは、従来とは変わりません(無論、ヘイトスピーチや差別にならない様に注意していく点も含めてです)。
その理由は3つあります。

1つは「誰でも好きな事が言える」のが大切だと思っているからです。大袈裟に言えば「表現の自由を守る為」です。
但し、表現の自由とは「批判されない自由」ではありません。貴方が好きな事を言えるのと同様に、貴方の意見に反対の人も好きな事を言える、つまり批判も再反論もアリ、それが表現の自由です。ただ難しいのは、この考えを極端に推し進めると、上述の炎上を肯定する議論になりかねない点です。
表現の自由を守りながら炎上やヘイトスピーチを防止するにはどうしたら良いか。
これは確かに難しい問題ですが、解決策を一言で述べれば「自らの発言に責任を持つ」となります。具体的にどう責任を持つのかと言われるとこれも難しいですが、少なくとも「自発言の影響力に思いを馳せる」のは必須だと思います(この論点に関しては、拙ブログのこちらの記事の、特に後半部分を御参照頂ければと思います)。

この「発言に責任を持つ」というのが2つめの理由です。もしここで私が情報発信への態度を変えてしまうとすれば、逆に「じゃあ、今までの発言には責任を持つ覚悟は無かったのか」という批判にも繋がりかねないからです。

そして3つめは「反省しない人の発言の方が優位になってしまうのを防ぎたい」からです。過度の自粛は好ましくありません。「自粛しなかったモン勝ち」になってしまうからです。

5.報道の責任

最後に、どうしても報道の責任についても触れておきたいと思います。
今回指摘したい点は2つです。

1つは過熱取材、特に「ブログ記事を印刷して近隣住民に見せて回った」という点です。本人が反省し謝罪した内容を蒸し返しただけでなく、本来ならもはやおそらく一生見る機会が無かったであろうリアルの近隣住民に、その内容を見せるというのはどういう態度なのでしょうか。
これは、控え目に言っても意図的な煽りです。
勿論、県議にとっては「近隣住民=有権者」なのですから、それは非常なプレッシャーだったと想像できます。ブログを閉鎖し謝罪会見まで開いているのですから、通常ならば終息に向かう筈でしょう(私もその様に思っていました)。責任転嫁をするつもりはないですが、ネット上では終息に向かっている筈のものをリアル社会に流出させたのは、大きな問題だと思います。
マスコミの皆さんは時々オタクに対して「ネットとリアルの区別をつけるべき」みたいな事を仰いますが「本当にネットとリアルの区別をつけなくてはいけないのは、一体誰なの?」と言いたくなります。

2つ目は以前から指摘されていますが「日本の自殺報道はWHOのガイドラインに違反しまくっている」点です(ガイドラインに関しては、内閣府が紹介しているものがこちらにありますので御参照ください)。
この「メディア関係者のための手引き」を見る限り、日本の自殺報道は多くの項目に違反している様に思えます。あるいは、メディア関係者に言わせれば「配慮している」という見解になるのかもしれませんが、少なくとも私は、未だに全く不十分だと感じています。


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