コミケを風疹から守り隊

2012年6月9日土曜日

電気が足りないと人死にが出る(あるいは、脱原発への冷静な議論)

初回公開日:2012年06月09日
最終更新日:2012年06月09日

1.私は「脱原発」の立場です

最初に申し上げておきます。私は、敢えて言うなら「段階的脱原発派」という立場です。原発を徐々に減らしていき、最終的には無くすべきだと思っています。そしてその為には、どうすれば原発を減らせるかを冷静に具体的に考えなければなりません。真面目に考えれば考える程、解決すべき問題は山積しています。政治的問題、経済的問題、そして技術的問題・・・
しかし、こういう考え方は、どうも「反原発」の方々にはウケが悪い様です。冷静な脱原発の議論をしようとしただけで「原発推進派」のレッテルを貼られたりします。その為、逆に「反原発」という言葉に妙な色がついてしまっている様にすら思えます。言うなれば「反原発=感情的で急進的な反原発原理主義者」という語感になってしまっている様に見えて仕方が無いのです。

はっきり申し上げれば、現状の「反原発(急進的な反原発原理主義)」は、真面目に脱原発を考えている人達にとって迷惑でしかありません。
何故なら、本気で「原発の無い社会」を目指すのならば「どうやって原発を減らし、無くしていくのか」を真剣に考える必要があるからです。それを忌避して感情的に「原発反対」を唱えたところで、原発は無くなったりしません。

そしてまた「原発推進派」を「利権まみれの悪の権化」の様に考えるのも極端過ぎます(いや、そういう人が全く居ないとは言いませんが、少なくとも「原子力ムラ」などと一くくりにする様な見方では大局を見誤ります)。少なくともこれまで原発が推進されてきたのは「エネルギー資源に乏しい我が国が諸外国に頼らずにやって行く為」の現実的な解答だった、というのも、一面の真実である筈です。



2.現状の分析(全原発停止から大飯再稼動まで)

2012年5月5日、泊原発が停止し、国内で稼動中の原発はゼロになりました。「反原発」の人達の中には単純に喜んでいる人もいた様です。
しかし、冷静に考えれば、これらの原発は、定期検査の為に止めただけであり、脱原発の為に止めた訳でも何でもありません。事実として、このエントリ執筆時(2012年6月現在)に至っても未だ、日本国政府は原発の存廃に関する姿勢を明確にしておりません。これは極めて大きな問題です。
海外に目を向けますと、国として脱原発の方向性を明確に打ち出したドイツでも、現状で原発は稼動していますし、脱原発を掲げたスウェーデンでも方針が転換されてしまいました。つまり、本気で脱原発を目指した国ですら、現状で原発無しでやっている例など無いのです。

そうした状況を考えると、脱原発への道筋は愚か、方針すらマトモに示されていない日本において「たまたま」稼動中の原発がゼロになった程度で喜んだのは、浅慮と言わざるを得ません。何故なら、現状のままでいる限り、原発無しでは早晩電力不足に陥るのは必至であり、その結果「仕方なく」再稼動を行い、いつの間にか「原発のある毎日」に戻っていく可能性が高いからです。
実際、大飯原発はなし崩し的に再稼動されようとしています(もっとも、本来は何の法的根拠も手続きも無しに「たまたま」停止していたものですから、なし崩しに再稼動するのも一貫していると言えば言えますが、そもそもそういう「何となく全停止」「何となく再稼動」というのがマズいのだと、私は主張したい訳です)。

こうして「なし崩し的に原発のある毎日」に戻っていくのが嫌だと言うならば。
以下に示す様な事実にきちんと向き合ったうえで、どうすべきか考えるべきでしょう。見たくないものを見えないふりをして感情に身を任せて「反原発」を叫んだところで(溜飲は下がるかもしれませんが)現実は貴方の望む方向と逆に行ってしまうだけですよ。

3.「電力足りてる論」のマヤカシ

大阪市の橋下市長は、5月の末から「再稼動容認論者」になった様です。「君子は豹変す」という言葉もありますから、意見が変わる事自体は良いのですが、こちらにまとめられた呟きなどを見ると、どうしても「言い訳」に見えて仕方ありません。少なくとも、これまで散々「電気は足りてる」だの「他地域で節電して関西に回してくれれば」だの「節電通報窓口」などと言いまくってきた事を反省している様には全く見えません。それと、古賀氏の「停電テロ」発言はどうなったのでしょう。そのままなのでしょうか。
またこちらこちらの記事を見ますと「停電のリスクを一覧表で見たら、正直おじけづいてしまった」と言っています。思わず「知ってたわー。そんなリスクなんて、一年前から知ってたわー」と言いたくなってしまいます(マジ)。しかも、彼のブレーンである飯田哲也氏は、こちらのTweetでは未だに「電力不足のウソ」などと言っており「電力は足りている」という立場を崩していない様です。
更に一方では、未だに「我慢すれば何とかなる」などと言っている前首相も居る様です。御本人のブログでも「国民の理解と協力があれば何とか乗り切れる」と書いています。

そこで、既に御承知の方々にとっては誠に今更感満載だとは思うのですが、この様な「電力足りてる論」のマヤカシについて、以下で述べてみます。
結論から言えば、節電すれば足りるというのは論外として、大飯を再稼動した状態であっても、まだまだ需給は厳しいとみています。

皆さん御承知の様に、電力需要のピークは夏です(逆に少し前までの時期、即ち4月~5月は需要の底です。その頃の状況だけを見て「余裕じゃん」とか言っている人も居た様ですが、もうちょっと考えましょう)。幸いにして昨年は、産業界を始め各方面に大変な努力をお願いして、何とか乗り切る事が出来ました。しかしそれでも、ギリギリの綱渡りだったのです。しかし「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは良く言ったもので、上記の如く、無邪気にも「去年大丈夫だったから(ちょっと頑張れば)今年も大丈夫だろう」と考えている方もおられる様です。

冗談じゃないですよ。

原発が止まった分、去年よりも更に需給は逼迫しています。そして去年は「震災後間もないから大変なのは仕方が無い。今年だけは何とか頑張ろう」という想いで無理をして節電に努めた会社や工場も多かった筈です。それを「今年も同じ事をやれ」どころか「去年よりももっともっと節電しろ」だなんて、無茶苦茶にも程があります。

そもそも「電力足りてる論」の人が最も根拠にしている(らしい)のは、
各発電所の最大電力を単純に足し合わせた数字 > 需要のピーク電力
という関係でしょう。
例えばこちらの民主党議員のブログなども、基本的にはそういう考え方に基づいています(この議員の言っている事は論理的にもおかしいのですが、煩雑になるので今回は割愛します)。
しかしこんなのは、最大限控え目に言っても「机上の空論」でしかありません。
例えるなら「ウサイン・ボルトは100mを9秒58で走る。だから1kmを95秒8で走れる筈だ」というのと同じ位の無茶な理屈です。
あるいは「フェラーリ512ベルリネッタ・ボクサーの最高時速は302km/hでランボルギーニ・カウンタックLP500の最高時速は300km/hだ。だからフェラーリの方が速いし、1時間走れば302km先のゴールに到達出来る」というのと同じ位メチャクチャな理屈です。

そして、忘れてはならないのは、現状では「火力発電所を(メンテナンスを先送りして)無理やり動かしている」という事実です。クルマにだって車検がある位ですから、あらゆる機械というのは、定期的に適切な点検を行わないと、故障する危険性がどんどん高くなっていくものです。増してや、現在の火力発電所は継続して全力運転を強いられている状態です。原発停止前に比べて、故障する可能性は、ずっと高くなっています。
そもそも「千年に一度の津波にも対応できる様にしろ」とまで言っている人が、火力発電所が故障するリスクについては一顧だにしていない様に見えるのは不思議でなりません。「火発安全神話ですか?」などと揶揄したくなってしまう位です。

ここで、例によって、電力需給の解説を行っているTogetterを2つほどリンクしておきます。併せて御覧ください。
大規模停電は「水道が止まる」のとは違います
二人の中国大学生による分かりやすい発電問題と原発問題講義

4.電力が足りないと、人が死にます

別に脅してる訳でも何でもありません。これは単なる事実です。
実例は幾つもあります。
例えば、毎年夏になると、熱中症で亡くなる人が何人も出ます。電力が足りている状態でさえ、そうなのです。人は年を取ると、暑さや脱水に対する感覚が鈍くなります。特に一人暮らしで周囲に気配りをしてくれる人も居ない場合、ちょっと「具合が悪い」と自覚した時には既に熱中症が進行していて一人では動く事も出来ず、そのまま亡くなってしまうという事があります。
節電を呼び掛けてエアコンの使用を自粛したり、計画停電が実行されたりすれば、確実に熱中症で死ぬ人は増えます。頼みの綱はお天気だけになってしまいます。まさしく神頼みであり、シャレになりません。
その他にも、在宅で人工呼吸器を使用している人とか、痰が絡んで窒息するのを防ぐ為に吸引器を使用している人とか、電力の不足が生死に直結している人は全国に何人もいらっしゃいます。
「自分じゃないから大丈夫」とか、思っていませんか?でも、誰でも年は取りますよね。自分だけは熱中症にもならず、その他の病気でも死なない自信があるのでしょうか。無根拠に。

ところで、皆さん。
総合病院とかには自家発電設備があるから、停電になっても大丈夫」とか思い込んでいませんか?
では、とある地方都市にある300床程度の中規模総合病院を例に挙げましょう。
確かに、その病院には自家発電のシステムがあります。停電時には重油を燃料とした発電機による自家発電システムが稼動します。
しかし。
自家発電による電力は、必要最低限のギリギリしか提供されません。換気や空調はかろうじて動きます(これが止まると入院患者に直接危険が及ぶからです)が、電灯は非常灯しか点きません。検査機器に関しては、緊急の血液検査用の機器は動きますが、電力を食うX線撮影装置などは停止します。更に、電子カルテに関しても、サーバーはUPSと自家発電との組み合わせで何とか動きますが、全てのクライアントとネットワーク機器(ハブなど)は止まります。つまり、事実上全く使えないという事です。
この状態で、例えば熱中症の患者が救急搬送されてきたら、充分な診療が出来ない可能性が極めて高いです。また、交通事故などが起きて緊急手術を行おうとしても、まず不可能です。
繰り返しますが、自家発電システムをフル稼働させていても、の話ですよ。
「電気が足りなければ人が死ぬ」というのは、例えばそういう事です。
これは、ほんの一例に過ぎません。

更に言えば。
この自家発電システムは、燃料の重油が切れれば止まります。一応、100時間程度の運転が可能な燃料が備蓄されていますが、逆に言えばそれが無くなれば動きません。
仮にそうなればアウトです。全部止まります。病院の機能は麻痺します。救急患者受け入れどころか、現に入院している人も生命の危険に晒されます。

しつこく繰り返しますが「電気が足りなければ人が死ぬ」っていうのは、冗談や脅しで言ってるのではありません。まったくもって「単なる事実」でしかないのです。

5.「昔に戻れば良い」って、本気なの?

電力が足りなければ使わなければ良い」という考えの人もいらっしゃる様です。そしてどうやら、その考えの根拠になっているのが「昔はそんなに電気は使っていなかった。多少は不便かもしれないが、昔の暮らしに戻れば良いのではないか」という考え方の様です。極端な意見では「江戸時代に戻れば良い」とまで言っている人も居る様です。
この考え方は、一見すると、もっともにも思えます。
しかし、ここには幾つかのウソ(と言って悪ければ、認識不足)があります。最も大きなものは「昔の暮らしぶりを正確に認識していない」というものです。

別に江戸時代まで戻る必要はありません。殆ど電気が無かった明治大正の時代の暮らしを考えて見ましょう。例えば、当時の家庭の主婦の仕事とは、いかなるものだったのでしょうか。
朝は誰よりも早く起きて、水を汲み火をおこして朝食を作ります。それだけで一仕事です。特に水汲みは重要です。炊事洗濯掃除の全てに水は必要だからです。昼食は食べない事も多いので、朝食の片付けが終わったら、掃除をして洗濯をして夕食の支度をします。夕食の片付けが終わったら、乏しい灯りの下で繕い物などをします。要するに、いわゆる「家事」のみで一日中忙殺され「自分の時間」など片時も無い、というものです。
じゃあせめて、水道だけでもあれば大分違うんじゃないの?」と思われるかもしれません。多少は違うでしょうが、あくまで「多少」ですよ。そして忘れてはならないのは「電気以外のインフラ(水道やガスなど)も、電気が無ければ動かない」という事です。水道で言えば、例えば浄水施設や家庭に水を送るポンプそのものが、電気が無ければ動かせません。

また、食品の流通や保存、そしてそこから発生する保健衛生の問題もあります。食品を安全に保存して流通させる手段が乏しかった時代、人々の食生活は今よりも遥かに貧しく、栄養も非常に偏っていました。「地産地消」という言葉はキレイに響きますが、それしか無かった時代の人達の苦労にも少しは想いを馳せるべきでしょう。
栄養状態も衛生状態も劣悪だった時代、人々の平均寿命は現代よりも遥かに短く、特に乳幼児死亡率や妊産婦死亡率の高さが目立ちます。つまり「弱い者から犠牲になる」のです。
もっと言えば、生産性そのものも減少します。農業で言えば、化学肥料を作るのにも農業機械を製造するのにも電力が必要です。これらが無くなれば、収穫できる農作物の量は減ります。今の人口は養えません。「食料など外国から買えば良い」ですか?代わりに何を売ります?電力も無いのに、外国が買ってくれるモノを作れますか?

まだまだ幾らでも例は挙げられますが、この位にしておきましょう。
要するに、身も蓋も無い結論を言えば「江戸時代の生活に戻るのならば、貴方も私も、大部分の人々は生きていけない」のです。言い換えれば「江戸時代に戻れば良い」っていうのは「江戸時代の人口レベルに減るまで、人が死ねば良い。運良く生き残っても、厳しい環境と低い生活レベルで暮らさなければならない」って言っているのと、実質的に同じ主張なのです。
そこまで理解した上でも、改めて同じ主張が出来ますか?

6.代替エネルギー論のマヤカシ

代替エネルギーを普及させようとする議論も盛んです。その中でも最も注目されているのが「太陽光発電」です。実際に「メガソーラー」も稼動しています。
でも、貴方は、その「メガソーラー」の発電量がどの位か知っていますか?「メガ」だから百万?確かにそうですね。でも、単位は?
実は「メガソーラー」とは「最大出力がメガワット(百万ワット)クラスの太陽光発電所」の事です。ちなみに普通の発電所の出力はキロワットで表わされますから、それに換算すると千キロワットですね。では、原発の発電量はどの位でしょうか。原子炉によって差はありますが、現在日本にあるレベルの原発で大雑把に見ると、概ね原子炉一基あたり百万キロワットの出力と言えます。
つまり、最大出力で比較しても、メガソーラーは原子炉一基の「千分の一」です。逆に言えば、メガソーラーを千個作ってようやく(最大出力が)原子炉一基分になるという事です。
更に、当然ながら太陽光発電の最高出力とは良く晴れた昼間の時の値です。当然、夜は全く発電できませんし、朝・夕・そして雨や曇りの日は大幅に発電量が落ちます。それらを全て考え合わせると、下手すれば原子炉の一万分の一と言っても大袈裟では無いでしょう。メガソーラーを一万個作って、それでようやく原発一基分程度にしかならないのですorz

つまり、結論としては、少なくとも現在の技術レベルで考える限り、太陽光発電で原子力の代替を行うのは、事実上不可能です。全く無駄とまでは言いませんが、少なくとも「メガソーラーを沢山作るから、もう原発なんかいらないね!」というのは完全に間違っています。
しかも、太陽光発電は割高です。発電原価が他の発電方式の概ね3~5倍です。政府は電力会社に電気を強制的に買い取らせようとしていますが、そのツケは誰が払うんですか。結局利用者が負担するんですよね。電気料金の値上げという形で。
本当に電気料金が今の3~5倍になってしまうのであれば誰でも猛反対するところですが、逆に太陽光発電なんて、全体の電力需給から見れば、ほんの申し訳程度にしか行われない(つまり、代替エネルギーの主役には成り得ない)と見越しているからこそ、強制買取などと呑気な事を言っていられる訳です。
穿った見方をすれば「太陽光発電なんて電力需給の改善には全く寄与しないけれど、それで利益を得る人が居るから推進しているんだ」と考えたくなります。はっきり言えば利権です。
ちなみに、一般的に「利権」とは、大義名分がある場合に発生し易くなります。現在であれば、太陽光発電そのものに表立って反対する人は殆ど居ません。利に聡い人であれば、こうした状況を利用しようと考えるのが自然でしょう(あくまで参考として、こちらのTogetterにリンクしておきます)。

7.まとめ

急進的に反原発を進める事のデメリットをまとめておきます。

1)値上がりした化石燃料を大量に(年間数兆円という規模で)買い続ける事による富の国外流出→国内経済の悪化
2)化石燃料を必要としている他国での需給悪化→世界規模での経済の悪化
3)電力不足による国内産業への悪影響→国内経済の更なる悪化
4)電力不足による国民生活への悪影響(節電とかの掛け声で何とかなるレベルではない)
5)化石燃料の多用による地球温暖化の促進

繰り返しますが、私自身は「段階的脱原発派」です。だからこそ、上記の数々のデメリットに目を瞑ったままで無理をして、原発推進派に「ほら見ろ、やっぱり原発がなきゃダメじゃないか」と言われてしまうのを危惧しているのです。
しつこい様ですが「本気で脱原発」を目指すのなら、真剣に考えるべきです。

では、オマエはどう考えるのだ」という声が聞こえてきそうですので、私自身の考える「脱原発への道」を示します。
まず、一部の原発の再稼動は必須です。ここまで縷々述べてきた現実を見る限り、それ以外の選択肢はありません。その意味で「反原発という大儀の為なら、どれほどの犠牲を払っても構わない」という考えには同意出来ません。
一方で、原発を減らしていくべきです。これは再稼動と全く矛盾しません(その点に限れば飯田哲也氏の言い分にも一理ありますが、あの人は長期的な視点と短期的な視点をごちゃ混ぜにしてムチャクチャを言うからダメなのです)。
具体的には、古い原子炉は廃炉にすべきであり、再稼動は新しい方から順番にすべきです。古い原子炉は、効率も悪く放射性廃棄物も多く事故の可能性も高いからです。その一方で、廃炉2基以上に対して1基の割合であれば、新しい原子炉の建設を認めても良いでしょう。要するに「トータルで原子炉の数を減らしていく」のを国策にすべきだと考えます。勿論、最終的にはゼロにするのを目指します。
その為に、平行して代替エネルギーの開発を行っていきます。
超長期的には核融合が実用化されればと思っていますが、当面は無理です。そこで、それまでをどうするかを考える必要があります。
個人的には、代替エネルギーで最も有望なのは「地熱発電」だと考えています。また、あくまで繋ぎの技術としてですが「トリウム原子炉」も検討すべきでしょう。更に、これは妄想に近いのですが「人工光合成」が実用化されれば、それを応用して水を直接水素と酸素に分解する事が可能になるかもしれません。そうすれば、燃料電池と組み合わせる事によって、現在よりも効率的に太陽エネルギーを利用出来る可能性があります。

いずれにしても重要なのは、短期的・中期的・長期的なビジョンを組み合わせて考える事です。これをごっちゃにすると、絶対に議論は噛み合わないからです。

8.謝辞

今回もTwitterやブログを始め、多くの方の情報によりエントリが書けました。篤く御礼申し上げます。

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18 件のコメント:

  1. 球面上のデルタ(Twitter ID:Z_MARU_s)2012年6月10日 1:51

    とても興味深く読ませていただきました。
    僕はどちらかというと、原発を推進する方に傾いていますので(ただ、推進派でも反対派でもありません)、昨今の反原発思想にはうんざりするものを感じていました。
    ただ、あなたのご指摘通り、この問題はおそらく大きな利権が絡んだものだと勝手に予想しております。太陽光パネルだけでなく、過激な反原発によって利益を出せる人がいるのでしょう。こうした手合いはたいていの場合、強大でなかなかまともに意見を聞いてもらえません。この記事のような内容を広げることも難しいでしょう。
    こうした偏重した傾向は危惧しなければならないと思います。

    最後に余談ですが、トリウム原子炉はどうも燃料が液体であるらしく(うろ覚えです)、制御が難しいそうです。中々実現は困難なようです。

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    1. >球面上のデルタさん

      いらっしゃいませ、コメント有り難うございます。
      利権が全てだとは思いません(どちら側にとっても)が、利権の存在を無視しては話が進まないとも思っています。利権の存在を見抜く事は時に難しいかもしれませんが、注意深く見ていると、主張に一貫性を欠いたり非論理的であったりと、綻びが出てくる事がある様に思います。

      それから「液体燃料」とはおそらく「溶融塩炉」の事だと思います。これ自体は炉の構造を示しているので必ずしも燃料がトリウムでなくても良いですし、米国では実験的ながら長期間の運転実績があります。
      一方、トリウムを燃料とした場合でも、軽水炉等の個体燃料の原子炉でも運用できる可能性があります。
      詳しくは「原子力百科事典ATOMICA」
      http://www.rist.or.jp/atomica/
      の中の「開発中の原子炉および研究炉等」の項目を御参照ください。

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  2. 今や原発漸減の立場で、しかしかっては原発で糊口を凌いできた者として、PseudDoctor師の原発に対する調査・考慮の姿勢に感服しました。
     ご意見が縷々述べえられた中での、結論として「重要なのは、短期的・中期的・長期的なビジョンを組み合わせて考える事です。これをごっちゃにすると、絶対に議論は噛み合わないからです」に(議論の方法論としては)全く同意です。

     一言、述べたいのは以下の視点です:
    ・科学的/非科学的という判断基準は有効か?(たまたま3.11時の日本原子力学会の3月号にも、「原子炉一基が破損する確率は10の4-5乗年に一回」、のような専門家の科学的な評価が載っており)”それでも不安なものは不安だから”という ”駄々っ子のような(むしろ文系的な)主張にも一片の真理”があったわけで。工学でさえ進歩は文系的な発想で実現したかと。
     -では判断基準を何に求めるか(”科学技術は中世の神を中心とした社会を解き放した”、次のまだ分からない価値体系は「科学技術を中心にした社会」を解き放ちたと言える時代があるのではないかと、私自身にも今その次の価値体系は宿題のままですが。)

    ・もう1点は、(技術、産業振興毎に不可避的に利権が生じる話には、もう目をつぶるとして)原子力という「古い技術に投資するのではなく、代替分野に注力すべき」と思う者です。予算も社会の注目も新規(エネルギ)技術に軸足を移すべきと思います。 

    いずれにしてもグログ師のように、熟考しながら進む他はありませんが。

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    1. >匿名さん

      コメント有り難うございます。
      まず、申し訳ありませんが、コメントされる際にはハンドルネームを設定して頂く様、御願い申し上げます。勿論本名である必要はありませんが、誰がどの発言をしたのかが解らなくなってしまうのは避けたいと思っております。
      えぇと、それから「PseuDoctor師」は止めてください。師と呼ばれる程の者では御座いません。

      さて「科学的」判断基準は有効か、という御意見ですね。心情的には理解できますが、私は御指摘の部分は「科学の適用を誤っている例」だと思っています。
      科学は道具です。それ自体には善も悪もありません。そして、たとえ善意であっても、使い方を間違えれば望まない結果が得られます。
      その意味で、原子炉の破損確率の件は、前提条件が誤っていたと考えます。その点に対する批判は勿論必要ですが、科学技術そのものに関する信頼を失うのは行き過ぎだと思っています。

      そして、新規技術に注力するのは大切ですが、だからと言って原子力分野の技術を捨て去ってしまうのは無理です。一つ例を挙げれば、現在存在する原子炉を廃炉にするだけでも、この先何十年にも渡って原子力関係の技術は必要なのですから。

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  3. 僕のは、「電気がないと人が死ぬ」なら、「だから原発を」の前にできることは沢山あると思うのです。便座を電気で暖めなくても死なない人は暖めなければいいのです。電気ポットがないと死ぬ人以外はガスで沸かせばいいのです。「人が死ぬぐらいならやらなくてもいい」ことは沢山あるはずです。人がいない部屋に電気がついてませんか?そのせいでどこかで誰かが死ぬかもしれませんよと。僕自身は「原発は段階的に廃止」の立場ですが、「人が死ぬから」を理由にするなら、他にやるべきことはもっと沢山あるはずだと思うのです。

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    1. >かたやまさん

      いらっしゃいませ。

      私は決して「できること」を否定している訳ではないのです。ただ、一つだけ申し上げたいのは「それで足りますか?」という事です。震災から1年以上経過して、国民の間にもこれまでにないくらい節電の意識が高まっているのではないでしょうか。それでもなお、今年の夏は極めて厳しい需給予測になっているのです。
      「できることをやる」のは勿論とても大切ですが、私はそれだけで足りるとは思っておりません。

      もっとも、かたやまさんの御意見にも一理あるとは思います。例えば、最も電力需要の多い真夏の11時~15時の間は、全てのテレビ局が一斉に電波を止めるというのも一案だと思います。電波が止まれば、ビデオを見る一部の人は別として、多くの国民はテレビを消すでしょうから、放送局自体の節電も含めて、節電効果は絶大だと思います。
      決して大手マスコミは伝えようとしませんけれど。
      そう考えれば、確かにまだまだ出来る事はあるのかもしれませんね。

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  4. 初めて投稿致します。
     脱原発のデメリットについて的確にまとめられて解りやすかったです。
     代替エネルギーについて記載がありましたので、自分なりの考えを書きたいと思います。
     蓄電池技術のブレイクスルー(年単位で電気を蓄える技術)がない限り、代替エネルギーは火力・原子力のような大口供給の代替にはなり得ないと考えています。
     逆に言えば、蓄電池技術を国策として重点的に投資して技術向上に向かわせていけば、小口供給である代替エネルギーも電気を長期間に渡って蓄える事で、大口供給に代替できるのではと考えます。

     いずれにしても、技術向上の研究も電気の安定供給は必須です。
    我々国民が、現状把握に努め、長期的に見て正しい選択をしたいと思います。

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    1. >kn.さん

      いらっしゃいませ。
      お返事が遅くなって申し訳ありません。なかなかブログに手を入れている時間が取れませんでした。

      「電気を蓄える技術」は重要です。我々人類は未だに「電気を効率良く大量に蓄える技術」を持ち合わせておりません。この点における技術の画期的なブレイクスルーがあれば状況は大きく変化するだろう、という点については、kn.さんの御意見に同感です。
      私が本文で妄想気味に書いた「人工光合成と燃料電池の組み合わせ」も電気を(そのままの形ではないにせよ)効率よく貯められればという希望から生じたものだからです。

      また「技術向上の研究も電気の安定供給は必須」という部分も、地に足の着いた堅実な御意見だと感じました。

      削除
  5. ぼくはどちらかというと反原発の立場です。
    ただあなたの仰るとおり原発が止まると大勢の人が
    死に至るのは容易に想像が付いていたゆえに
    中々良い考えもありませんでした。今もそうです。

    勿論原発が動いてもそこに大地震がくれば
    世界中の人々が死の危険に晒されます。

    なんでこんなものに依存する世の中に
    なってんでしょうね。

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    1. >SU-SANさん

      いらっしゃいませ。
      お返事が遅くなりました。

      「出来れば原発は無い方が良い」と、今では多くの人が考えていると思います。でも「現状でいきなり無くなったら困る」というのが私の一番書きたかった事です。

      「なんでこんなものに依存」と思いたくなるお気持ちも理解できます。ただそれでも「良かれ」と思って推進した部分もあるのではないでしょうか。例えば公害とか地球温暖化などの環境問題にしても「良かれ」と思ってやった部分はあると思うのですね。でも結果として困った事になってしまった。
      であればやはり「これからどうしていくか」を考えなくてはいけないのでしょうね。しんどいですが。

      削除
  6. 初めまして。
    私も「段階的脱原発派」です。
    「比較的安全性の高い原発は稼働させつつ、徐々に縮小させて行く」のが良いと思っております。

    さて、原発に代わるエネルギーですが、「メタンハイドレート」というものをご存知でしょうか?これはメタンガスが凍ったもので、火力発電に使えます。
    こちらの動画にコンパクトにまとめられていますので、是非ご覧下さい。
    http://www.youtube.com/watch?v=F2BASaq9jUA

    返信削除
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    1. >hinomotoさん

      いらっしゃいませ。

      メタンハイドレートは、名前だけは聞いた事があります。石油に代わるエネルギー源として注目されているみたいですね。
      ただやはり「燃やす」ものである以上、温暖化の観点から見ると不安が残ります。
      ですので、これだけに頼るのはちょっと危険だとも感じています。

      削除
  7. 自分も段階的脱原発派であることに変わりありませんが、幾ら全原発が冷温停止となったところで、廃炉するまでにはそれなりの時間は掛かるし、更に使用済み核燃料をはじめ放射性廃棄物のことを考えれば、原発再稼動することによって、こうした廃棄物も増えることになるのなら、急進的な反原発ではありませんが、原発再稼動には反対です。
    確かに、昨年は皆で節電に協力することで何とか乗り切りましたが、大規模停電も無く、計画停電も回避することが出来たことは大いに誇りとすることが出来るし、日本経済は急成長することは期待出来ないのだから、幾らでも節電に協力してあげることで、必要なところに幾らでも廻してあげる様にすると共に、電力料金について値上げが必要なら、それこそ大企業に対して幾らでも値上げさせて、節電に協力させれば良いのだし、それが嫌なら、日本から幾らでも追い出しても構わないし、ただそれについて行くことしか出来ない間抜け社員や間抜け会社と共に特攻隊精神ではありませんが、生きていけないのなら、どうぞ幾らでも勝手に特攻隊でもやって、勝手に死んで見捨てられて下さい、とでも言って送り出してあげれば良いのでは無いでしょうか。
    そもそも夏の電力需要で最も多いのは、こうした大企業が大部分を占めており、節電の余地があることを思えば、責めてもの愛国心というものがあれば、幾らでも出来て当然のことですよね。
    ただこれと同時に、地熱発電をはじめ、新たな電力をはじめ、少子高齢化等による介護をはじめとする社会福祉等を中心とした雇用拡大や新たな雇用創出とそれに必要な人材育成や製造業における付加価値の向上等の体質改善等を通して、極めて良心的な中堅企業や中小企業が安定した収益や利益を確保しながら、こうした企業が増えていくことによっての雇用流動化等により、最低賃金水準を引き上げ、これを生活保護の上限とすることで、これを下回る分については生活保護で支給してあげることが出来る様にする等すれば良いのでは無いでしょうか。
    更に、国内消費も、無駄な消費は抑制し、高級ブランド志向等で変な見栄を張ることは一切せず、それにより国内需要の激減は止むを得ないものの、出来る限り長く使い続けることや、修理して使えるものは修理して使うことや、幾らでも使い回ししたりして、廃棄物を幾らでも減らす事などすれば、それにより必要な資源や原材料等の輸入を減らすことで、そこそこの貿易黒字が維持出来る程度までの経済規模に縮小しても構わないし、それにより日本経済全体をダウンサイジング化することで、国内社会は幾らでもひっそりとした社会となることで、変な騒ぎも無く、事故や犯罪も減り、生活にゆとりが出来れば、幾らでも喜んで税金や社会保険料等を払ってあげることで、社会に恩返しをすることを誇りとして、幸せに暮らせることが出来れば、それで良いのでは無いでしょうか。
    日本は世界の中でも、グローバル競争には喜んで敗北し、存在感の低下し、ただひっそりと静かに存続して行くことになったとしても、それが日本の国益となると共に、資源や食糧を分け合う等することで、他国の国益に繋がる心豊かな外交が出来る様になれば、何処の国も損することも無いし、それで変な戦争に巻き込まれることも回避することが出来るだけで、核武装等、物騒なものも必要なくなるし、憲法9条を大切に守りながら、これを世界に向けて幾らでもアピールすることが出来れば、此れほど喜ばしいことは無いし、何も言うことはございませんし、地球環境への恩返しも出来るのなら、これを大いに誇りとさえ出来れば、もうこれだけで十分では無いかと、つくづく感じますが如何でしょうか。

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    1. >匿名さん

      いらっしゃいませ。
      まず、申し訳ありませんが、私のブログでは匿名は御遠慮頂いております。勿論本名は求めませんが、適切なハンドルネームを設定してください。その最大の理由は「誰がどの発言をしたかを明確にする為」です。

      さて、御意見を拝読していますと、心情としては共感できる部分が多々あるものの、御意見が極端だったり表現が過激だったりして同意しかねる部分も見受けられます。
      例えば、たとえ大企業が悪かったとしても「特攻隊でもやって勝手に死んで見捨てられて」とまでは私は思いません。また、大企業が海外に出て行って中小企業だけ国内に残されれば、逆に困る人が大勢出るのではないかと心配します。
      また、御説を拝見しますと、どうも「日本は経済規模を縮小して、つつましく生きていけば良い」というお考えの様に思えるのですが、これは私が本文の5.で批判した内容と重なる部分がある様にも感じますので、その点も不安に思う所以です。

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  8. 今年2013年ものすごく暑いんで普段は滅多にクーラー使わない俺も使ってます。
    予言通り停電で誰か死んだかな?

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    1. >アベシさん
      御意見の主旨がやや不明確ですが「電気は足りている」「死んだ人など居ない」という御意見だとみなしてお返事致します。

      まず「電気は足りている」について。
      電気は、停電するその瞬間まで「足りている様に見える」ので、足りないという実感が湧きにくいです。しかし現在の様に余裕が無い状態では、一旦足りなくなると、その影響は大きなものになります。例えばこちらのニュースを御覧ください。
      http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130716-00000002-kana-l14
      7月15日の昼過ぎに、神奈川で3万5千世帯が停電し、その為に軽症とはいえ熱中症も発生しています。直接の原因は変電所のトラブルですが、発電能力全体に余裕があれば、もっと停電は少なくて済んだでしょう。
      そして本文にも書いた通り、設備の整備を先送りすれば、今後はもっとこうした設備トラブルが増えるのではないかと心配しているのです。

      次に「死んだ人など居ない」についてです。こちらもニュースを御覧ください。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130725/k10013288581000.html
      梅雨明けから7月23日までの間に、東京都内だけで、少なくとも62人の方が熱中症で亡くなっています。平均すれば、毎日複数の人が亡くなっている計算になります。
      アベシさんも、普段は滅多に使わないクーラーを使われたとの事。この人達も、クーラーを使っていれば(つまりもっと電気をふんだんに使えていれば)死なないで済んだでしょうね、きっと。
      勿論、今年も(出来る範囲でとはいえ)節電要請が出ている事は御存知だと思います。

      まぁ確かに仰る通り「停電そのもので死んだ人」は居ないかもしれません。しかし、だから良いというものでもないでしょう。
      アベシさんも「予言」とかいう揶揄めいた表現をなさるのも結構ですが、もう少しニュースを見るとかググるとかなさってみるのも良いかもしれませんね。

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  9. 自分は原発発展改良現状維持派です。

    段階的脱原発派の方々を見ても、核エネルギー=怖いと言う先入観が程度の差は
    あれ見受けられる感じがして仕方ありません。

    嫌だ嫌だと言おうが、現実に発展途上国の多くが原発の新規建設に踏み切っています。

    仮に日本「だけ」脱原発した所で、脱原発は進むどころか海外企業がしめた!と
    言わんばかりにそのシェアを奪っていくだけで終わるでしょう。特に韓国とか中国
    と言った品質管理面で重大な問題抱えている体質の国が主導権握った日には、
    それこそ福一とは比較にすらならない粗悪な原発が世界中に出回って、事故多発
    と言う悪夢さえ予想出来ます。

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    1. >あおざめさん
      いらっしゃいませ、コメント有難うございます。

      「現状維持派」というのは、もしかしたら辛い立場かもしれませんね。何故なら、反原発派から「推進派」とみなされ、逆に推進派からは「反原発派」とみなされかねないからです。でも、それだからこそ、どちらの極端にも走らずにバランスを取った考え方をしようとする態度は大切だと思います。
      そして仰る通り、日本だけ良くてもダメな訳ですよね。地球全体で見れば電力需要はまだまだ圧倒的に不足しているのが現状ですから、それをどうやって賄っていくのかがとても重要であり、未来に向けて取り組んでいかなければならない問題だと思っています。

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