最終更新日:2017年07月30日
1.はじめに
この記事は形式的には「片瀬久美子さんの事」の続編ですが、内容的には殆ど独立していますので、この記事だけ単独でお読み頂いても構いません。最初はあちらの末尾に追記するつもりでしたが、例によって物凄く長くなってしまったので、新たな記事として書きました。なのでくどい様ですが、今回も結構長いですよ。読まれる方はそれなりに覚悟してくださいね…とだけ言って終わりにするのも何なので、最後まで読んでくれた方には、おまけもあります(いきなり最後までスクロールさせて、おまけだけ読んでも構わないと言えば構わないのですが、ちゃんと本文を読んでいないと解り難いネタもありますよ(笑))。
まぁ冗談はともかくとして、最初にお断りしておきます。本記事では、どうしても必要な場合を除き、政治的な内容に触れるのを、可能な限り避けています。それは、今回私が問題にしているのは、片瀬氏の「論の立て方」や「議論に対する誠実さ」つまり一言で述べれば「論者としての資質」だからであり、これらは政治的立場とは無関係に論じられる筈だと考えるからです。
2.出来事の主な経緯
直接の発端になったのは片瀬氏のこちらのTweetです。
「疑われた側が潔白を証明すべし」という理屈は絶対に認めるべきではないという論調もありますが、政府や行政機関にはアカウンタビリティー(国民に対する説明責任)が当然求められます。論のすり替えでしょうね。— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月27日
社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者に対しては、一般人とは異なりますよ。
これを見た瞬間、私は一瞬、激しい既視感に襲われましたが、その原因はすぐに解りました。私がその前日に「週間PseuDoctor」の一部として呟いた内容と酷似していたからです。
続き)朝日新聞の記事 https://t.co/F6gOnqlj5G や毎日新聞の記事 https://t.co/5v7ZqbZoxi 。いずれも「疑われた側が潔白を証明すべし」との論調だが、そんな理屈は絶対に認めるべきではない。これではまさに現代の魔女裁判ではないか。(続く— PseuDoctor (@_pseudoctor) 2017年7月26日
当初私は当惑し、次いで立腹しました(具体的内容は次項以降で詳説します)。その一方で、片瀬氏のこの呟きは(どうやら私の呟きに酷似しているかどうかとは無関係に)炎上し始め、同日にTogetterまとめが作られました。通常なら滅多にまとめにコメントしたりしないのですが、タイムリーだった事もあり、2つほどコメントしました。Twitterに転送した方は文字数の関係で文が途中で切れてしまったので、まとめコメントへのリンクを貼ったうえで、内容も引用しておきます。
1つ目のコメントへのリンク
コメント内容:最初の発言って、私の https://twitter.com/_pseudoctor/status/890204533246251009 の内容殆どそのままですね。どうしてこういう「連ツイの一部だけ切り取ってエアリプ」みたいな事するかなぁ。
2つ目のコメントへのリンク
コメント内容:で、私は「説明責任を果たさなくてよい」なんて話は一っ言もしていない訳です。内容を捻じ曲げられた上に、言ってもいない事を批判されてもねぇ。
ちなみにこれらは、コメント全体の中で、21番目と22番目のコメントです。しかしTogetterでは良くある事ですが、色々な人がそれぞれにコメントした結果、徐々にコメント欄がカオス化してきました。
一方の片瀬氏は当該まとめがお気に召さなかったらしく、この様に呟いています。
まぁコメント欄がグチャグチャになっている点に関しては片瀬氏に多少の同情を覚えますが、それはそれとして、ここで重要なのは、片瀬氏が「まとめ本体のみならずコメント欄まである程度読み込まなければ知り得ない筈の事柄に対して言及している」という点です。そして私のコメントは比較的最初の方にありますし、私のアイコン(バリ島の聖獣バロン)はTwitterを始めて以来(つまり片瀬氏と普通にやり取りしていた時期も含めて)一度も変更していません。なんですかこれ?私の続きの一連の説明を弁解とか、印象操作までしているし。こうやって晒上げて呆れた人達です。— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月27日
私が若い頃淫売をしていたとの疑惑に反論がないから事実と確定とか勝手にやっている人まで…。私もネトウヨのターゲットですか。https://t.co/NkDN9rY9zj
以上の状況から、この発言の時点で既に片瀬氏が私のコメントに気付いていた可能性は、それなりに高い筈であると推測します。しかし少なくとも、2017年7月30日の時点では、片瀬氏はTwitter上で私のコメントや発言に関する言及を全く行っておりません。
さてその後、腹の虫が収まらなかった私は、以下のTweetを(勿論自己リプにより繋げて)連投しました。
あーもぅ、まだ腹の虫が収まらないな https://t.co/d4r6ltvgK2 。だって片瀬さんと言えば、これまで散々ツイッターの「文脈切断傾向」には苦労させられてきた筈だから「そういう事はしちゃいけない」って骨身に沁みて解ってなきゃいけない。(続く— PseuDoctor (@_pseudoctor) 2017年7月27日
続き)なのに、自分がやらかす側に回った途端、わざわざ繋げてある練ツイの一部だけ切り取って内容を捩じ曲げたうえに言ってもいない事に反論した挙句「論のすり替え」とまで言う。これは、政治的立場とか一切関係無しに「論者としての知的誠実さ」が問われてる事態だって、解らないかなぁ。(続く— PseuDoctor (@_pseudoctor) 2017年7月27日
続き)いくら立場や意見が違ってても、流石に「そういう事」だけはしない人だと信じてたけど、とんでもない眼鏡違いだった。見損なったね、完っ全に。— PseuDoctor (@_pseudoctor) 2017年7月27日
繰り返すけど、これは「論者としての資質」の問題だよ。政治的立場の違いとかとは、丸っきり別次元の話。
これらの発言は、それなりにふぁぼもRTも頂きましたが、やはり片瀬氏からの反応はありません(ちなみに「練ツイ」はタイポで、正しくは勿論「連ツイ」ですね)。
さて、お話はまだ続きますが、経緯に関する説明は一旦ここまでにして、少し論点を整理してみましょう。
3.そもそも、片瀬氏の発言は、PseuDoctorのTweetに対する言及なのか?
これには3つほど可能性が考えられます。
1)片瀬氏の発言は(明示してはいないものの)PseuDoctorのTweetに対する言及である。
2)酷似して見えるのは、単なる偶然である。
3)片瀬氏が偶々目にしたPseuDoctorのTweetが記憶に残り、それと気付かぬまま一般論の様にして書いてしまった。
私は内容が酷似しているという事実から、1)である可能性が極めて高いと考えています。しかし念の為、残り2つの可能性も考慮してみましょう。
まず2)、つまり単なる偶然の一致である可能性です。たとえ偶然だとしても、片瀬氏は「~という論調」と書いていますので、何かしら、対象になった言説が存在する筈です。そこで軽く「潔白 証明」でググってみましたが、ざっと見てもそれらしいものは見当たりません。そこでもう少し絞って「潔白 証明 認められない」でググると、片瀬氏自身のTweetとその引用だらけになってしまいました。
という訳で、どうも偶然の一致である可能性は極めて極めて低そうです。もしそれでも、どうしても「偶然である」と強弁したいのであれば「~という論調もありますが」とは、誰のどの様な論調の事なのか、具体的に示せる筈です。まぁ不可能だとは思いますが、それがキチンと示せるのなら「偶然」という解釈にも僅かながら説得力は出てくるでしょう(但し勿論、それ「のみ」で完全に納得できる訳ではありませんがね)。
最後に3)です。この可能性は、全くの偶然に比べれば、それなりにありそうです。うろ覚えで書いていると、ついやってしまうかもしれません。その場合には、私は「片瀬氏の誤爆による被害者」だという事になります。
以上をまとめますと「私は1)である可能性が極めて高いと考えているが、2)3)の可能性も全く完全に捨て去ってしまっている訳ではない」となります。なお上記2.の経緯にあるまとめへのコメントと、最後に載せた一連の呟きは「1)である」との推測に基づいてなされたものです。
4.仮に「片瀬氏の発言はPseuDoctorのTweetに対する言及ではない」と仮定した際に発生する問題点
という訳で、可能性は低いものの、上記3.の2)3)に該当する場合も考えてみましょう。
これらの場合には、片瀬氏は「元々存在するかしないかも不明な『論調』」もしくは「ぼんやりとした記憶に基づく曖昧な内容」に基づき批判を行った事になります。しかも「論のすり替え」とまで言っている訳です。余談ながら私は「論の整合性や論理性」といったものを非常に重視しています。従ってPseuDoctor的には「論のすり替え」といった表現は「最大級の侮辱」であると感じます。
つまりこの場合には片瀬氏は「誰も主張していない事柄に対してわざわざ強い調子で批判してみせた」という事になります。こういう「誰も言っていない事をわざわざ批判してみせる」のを何と言うのでしたっけ。そう「藁人形論法」ですね。
従って、この場合には片瀬氏は「藁人形論法」という「典型的な詭弁術の一種」を行使しているという結論になります。
5.「片瀬氏の発言がPseuDoctorのTweetに対する言及であろうがなかろうが」発生する問題点
これは「片瀬氏の当該発言そのものに含まれている問題点」という意味です。端的に言えば「証明」と「説明」の混同ないし同一視、そして「説明責任」という概念に対しての理解の浅さ、です。
もう一度、最初の片瀬氏の言い分を見てみてください。
「『疑われた側が潔白を証明すべし』という理屈は認めるべきでない」に対し
「政府や行政機関には説明責任というものがある」から「論のすり替え」だ、とまで仰る訳です。言い換えれば「説明責任があるから疑われた側が潔白を証明すべし」という御意見です。しかもこれは片瀬氏自身によれば「特定の政権に限ったものではない一般論」なのだそうです(下記参照)。
わざわざ「一般論」と書いた事で「加計学園の件では疑うに足るべき証拠がある」という話とは切り離されました。つまり「一般論として、政府や行政機関は疑われた場合には潔白を証明すべし」という御意見なのだそうです。このツイートから始まる一連のツイートには、「安倍」「森友」「加計」「自衛隊日報」のどの言葉も入っておらず、特定の政権に限ったものではない一般論です。これをアンチ安倍政権だと解釈した人達は、政治の基本について分かってないのでしょう。https://t.co/965ARgtiW7— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月28日
なかなか凄い事を言ってますよね。これでは「疑いを掛けたもの勝ち」になってしまいます。それを裏付けるかの様に(ちょっと時系列が前後しますが)こんな事も言っています。
いやぁ、これって「相手が一般人であれば説明義務すら発生しない程度の『勝手な疑い』のレベルであっても、政府や行政機関であれば説明すべき」って意味になっちゃいませんか?それって、幾ら何でも「説明責任」の対象範囲を拡大しすぎだと思いますけどねぇ。一般人が赤の他人から勝手に疑いを向けられても、それに応じる義務はありません(裁判でもない限り)。— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月27日
でも、政府や行政機関と国民の関係は「一般人対一般人」とは異なり、説明責任があります。異なる構図を当てはめるのは無理筋です。
また、「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の話とも別です。
あるいはもしかしたら「いや、疑いというのは、相応の根拠があって疑う事を指しているのだ」などと言い出すかもしれませんが、もしそうなった場合には「えっ、そんな話だったっけ?」という感じですね。「相応の根拠がある疑惑」に対する説明責任の存在まで否定している人なんて、居るのでしょうか(まぁ、世界は広いので、どっかには居るかもしれませんが)。そしてその場合でも、説明責任とは「疑惑の根拠に対する否定」であれば足りる筈であり、それは正確には「潔白の証明」とは異なります。
まぁ「証明と説明の違いなんか、深く考えないで書いちゃったテヘペロ」とか言うのであれば、まだ解ります(納得するかどうかは別ですが)。しかしこれも片瀬氏自身が、以下で示す如く「注意深く書いている」「論理性よりも攻撃性が勝ってしまうと、文章をちゃんと読めなくなる」とまで言っています。そこまで言うのであれば、御自身の当該発言の内容に厳密性を要求しても、罰は当たらんでしょう。
私は注意深く書いているのに、それに気づかない人達。。。— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月28日
論理性よりも攻撃性が勝ってしまうと、文章をちゃんと読めなくなるんです。 https://t.co/zPSyDigdhQ
ついでに言えば「注意深く書いている」とわざわざ言明した事で、私が良心的に考慮した上記3.の3)、つまり「ついうっかり」である可能性を自ら潰している事になりますね。
更に言うなら、2つ上に引用した呟きでは、あたかも「一般人であれば(裁判にでもならない限り)説明責任は生じない」と言わんばかりの書き方ですが、果たして本当にそうなのでしょうか。
確かに「アカウンタビリティ(説明責任)」の概念は当初「政府に対するもの」として生まれました。しかしその適用範囲は徐々に拡大され、現在では企業や団体も含まれる様になってきています。
どうしてそうなったのでしょうか。
それは一言で述べれば「社会的影響の強い存在が行った行為に関しては、社会に対する説明責任が発生する」という考え方に基づくからです。つまりこの場合、社会そのものが「利害関係者(ステークホルダー)」であるが故に、社会に対して「説明責任」が発生するという意味なのです。
更にこの理屈の基にあるのは「ある行為を行った者は、その行為の利害関係者に対して『説明する責任』が発生する」という考え方であり、これこそ一般的に成り立ちます。その一般的に成り立つ考え方を「政府vs社会」の関係に適用したものが「説明責任」なのです。
ですから「政府や行政には説明責任がある」「個人には説明責任が無い」というのは、確かに字面だけ見れば正しいのですが、失礼ながら「説明責任」の概念に対する理解が浅いと感じます。
より正確に言えば「たとえ政府や行政といえども、無根拠の言い掛かりの様な『疑惑』に対してまで無限に説明責任を負うものではない」となります(加計学園の件がそれに該当するかどうかは最初にお断りした通り、ここでは言及しません。また片瀬氏がわざわざ「一般論」と断っている事からも、ここでそれを論じる意義は薄いでしょう)。
そして、その一方で「たとえ個人といえども、その言動によって他者に影響を与えた場合には、その影響を受けた他者(利害関係者)に対して(少なくとも道義的には)『説明する責任』が発生する」とも考えられます(つまり、片瀬氏の言動によって影響を被った人に対しては、たとえ個人といえども、少なくとも道義的には、片瀬氏には「説明する責任」が発生する、と私は考えています。何が言いたいのか、解りますよね?)。
その意味で「一般論」と仰る片瀬氏の言い分は、私から見れば「不十分かつ偏った一般化である」と感じられました。
6.「片瀬氏の発言はPseuDoctorのTweetに対する言及である」とした場合に発生する問題点
さて、ようやくここまで辿り着きました。この場合の主な論点は3つです。
1)連続Tweetの一部だけ切り出して論評する行為
片瀬氏の発言には当然ながら私の発言へのリンクやRTなどは含まれていません。従って片瀬氏の発言しか見ない人達(フォロワーさんの数の違いを考えれば、そういう人は無視できない数で存在する筈です)は、それが私の発言(のごく一部)だと気付かないままである可能性が高いです。
この様に、元発言との連続性を切った上で文脈を無視して一部だけ切り出して論評を加える様な行為は、控え目に言って、失礼で不誠実です。こういう事をされると、私が本来言いたかった内容を歪めるのも可能になってしまうからです。
もし私自身が気付かなければ、あるいは、永久に誰も指摘しないままだっかもしれません。
2)無理やりの論理展開
で、もし、仮に、発言内容の一部だけ切り出されたとしても、その内容が元発言で言いたかった事を正確に反映しているのであれば、まだしも救いがあります。しかし実際に片瀬氏が槍玉に挙げたのは、私の発言内容とは似て非なるものだったのです。
私の発言は4つの連続Tweetであり、そこを全部読めば「『疑われた側が潔白を証明すべし』という論調」とは、リンクを張った朝日新聞の記事や毎日新聞の記事の事だと(並の読解力を持っている人なら)解る筈です。つまり、個別の例を挙げたうえで「そういう論調は認められない」と言っている訳です。
ところが、片瀬氏は「注意深く書いている」「一般論」だと仰る。しつこいですが「~という論調もありますが」と書き「論のすり替え」とまで言い放っておきながら、炎上したら「一般論」で済まそうとする。特定の言い分を槍玉に挙げておきながら、何が「一般論」ですか。「注意深い」どころか、むしろ不注意にも程がありますね。
更に言えば、朝日や毎日の記事が「政府は説明責任を果たせ」というものだったら、流石に私だって「絶対に認められない」とまでは書きませんよ(「どこまで説明すればいいんだ」位は書くかもしれませんが)。そして実際に、朝日新聞は「証拠なき否定」と書き、毎日新聞は「潔白、証明できず」と書いている訳です。こういう「まるで刑事裁判を彷彿とさせる様な用語を使ったうえで、疑われた側が潔白を証明すべしとする様な論調」が許せない、と言っているのです。
という訳で「説明責任を果たさなくて良い」なんて話は、最初っから、全然、していません。
3)要するに、詭弁
以上より、片瀬氏は、私の発言の一部のみを切り出したうえに、言ってもいない内容に対して批判を加えた事になります。こういうのを何て言うのでしたっけ。そぅ「藁人形論法」ですね(今回2度目)。
つまり、片瀬氏の発言は、PseuDoctorの発言について言及したものであったとしても、違ったとしても、どちらであっても結局は「詭弁の典型例の一つであるところの藁人形論法」そのものであるという事になります。
他人に対しては色々と言う一方で、自分自身ではこの体たらく。だから私は「論者としての資質を問う」とまで言っているのですよ。
7.その後の話
その後の片瀬氏の呟きを幾つか載せて論評します。
なお、精神的にちょっと疲弊しているので壊れ気味です。この項では、いささか羽目を外す傾向にある点をお許しください(^皿^)
あのTogetterに集った、おかしな人達とはきっぱりと縁を切ったので、今後応対することはしません。その人たちから学べることはないだろうし、時間の無駄です。有意義なやりとりが可能な方々は、世の中にもっと多くいます。— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月29日
ここで言う「おかしな人達」に、2つコメントしただけの私まで含まれるのかどうかは定かではありません。繰り返しになりますが、2017年7月30日の時点で片瀬氏から私や私の発言に対する言及はありません。
あるいはもしかしたら「応対しないのは相手がおかしいからだ」というトートロジーを使うのかもしれません。もしもそういう態度に出るのだとしたら、むしろ私の方がスッキリサッパリ、せいせいします。
それと「その人たちから学べることはないだろうし」という表現を見て、こんな格言を思い出しました。「賢者は愚者からも学び、愚者は賢者からも学ばない」。大体「学べることがあるかどうか」でお付き合いするかどうかを決めるってのも、何だか寂しい価値観ですねぇ。私はそんな基準で友人を選びたいとは思いません。
へー、これって「勝負」だったんだー。はてなブックマークの「人気コメント」が総じて私の主張を支持する意見で、☆の数からも勝負はついたと思います。— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月29日
攻撃的で声の大きい人達がいくら頑張っても、客観的な見方はこんなものです。支持コメントをして下さった方々にもお礼申し上げます。https://t.co/XgvdPVp5qP https://t.co/X7QFEwtuhG
そのうえ、はてブコメが「客観的な審判」をしてくれるって事?そんなの、はてな民にとっても「いい迷惑」なんじゃないのかなぁ。
で、はてブコメがそんなに「客観的で信頼に足る審判者」だって言うのなら、例えば5年前のこれ、そして私のブログ記事に対するブコメとかも見て欲しいなぁ。どっちのブコメでも片瀬氏に批判的な人の方がスターも多い様に見えるけど、当時も今も、片瀬氏はこれらのブコメの事はガン無視だよね。
「自分に有利な時だけ引き合いに出す」って事なのかなぁ。違うといいけどなぁ。
私が「ネトウヨ」という言葉を使う場合、「自分自身の思想に反するネット上の意見に対し、攻撃的なコメントを展開する人々全般」という広義の意味で使っています。https://t.co/pFJ6iNBmvR— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月29日
「ネトウヨ」ってそういう意味だったんだー。初耳だわー。てっきり「ネット右翼」の略だと思ってたわー。
むしろ「批判者はネトウヨ」なんて言い方は「ダメなレッテル貼り」の典型例だと思ってたけど。なーんか、どうしても「自己正当化の為に、自分に都合の良い情報ばっかり探してきて提示している」様に見えちゃうなー。
という訳で、ちょっと前後しますけど
あと、マスコミは真実を報じない、正しい事を伝えないと情報遮断してしまうと、SNSに特有のエコーチャンバーの効果によって、どんどん思考が偏ってしまいますよ。マスコミ害悪論は、こういう負の効果があるので用心が必要です。— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2017年7月27日
「SNSに特有のエコーチャンバーの効果によって、どんどん思考が偏ってしまいます」かぁ。なるほどねぇ。確かにそういう事はありそうだよなぁ。そういう意味では「自分と考えの違う人とはどんどん縁を切っていく」みたいな行為にも、同様の危険性はありそうだよねぇ。また一方で「自分に都合の良い情報ばっかり集めてきて、それを『客観的』と称してフォロワーに対して流す」みたいなやり方は「SNSで積極的にエコーチャンバーを形成する行為」だと判断すべきかもしれないねぇ。
つ鏡
8.おまけ
この項は「おまけ」ですので、前項とは別の意味で「羽目を外している」のを御了承下さい。
1)どうして私は「片瀬氏の事を友人と考えるのを止めた」のか?
これは以前の記事の末尾に書いた内容とも繋がります。つまり私は
「片瀬氏の事を嫌いになった訳でもない」し「片瀬氏と意見が合わないから友達を止める訳でもない」のです。そういう事ではない。
一言で述べれば「片瀬氏が論に対して不誠実だと思うから」です。そういう種類の不誠実さを持っている相手を、友人だと思い続ける事は、私にはできません(これまで「そういう人」だと気付けなかった点に関しては、私の不明を恥じます)。
それは、私の本来的な価値観とは相容れないものだからです。
2)どうしてPseuDoctorは、片瀬氏に「直接」言わないの?
それは「そこまで心が広くないから」です。
「え、何?『狭くない』の間違いじゃなくて?」と思ってるそこのアナタ。間違いじゃないですよ。
だって、私は勿論私の言い分が正しいと思ってる訳ですよ。だとしたら私の方が被害者じゃないですか。その状態で私の方からリプなり何なりで話し掛けるって事は、片瀬氏に「弁明の機会を与える」って事になっちゃいます。なんでわざわざ、被害を受けた方が相手に「弁明の機会」を与えてあげなくちゃいけないんですか。片瀬氏が私の言い分を感知してない可能性なんて低いんだから、先に向こうから言ってくるのが筋でしょう。
ね、ちょっとばかり心が狭いでしょ、私は(^^)
もうちょっと意地悪を言えば、この記事がある程度のアクセスを集めて「片瀬久美子」で検索した時に上位に出る様になれば良いと思っています。片瀬氏がエゴサする度に、毎回この記事が目に入って、ほんの少しでも良心の呵責を感じれば良いなぁ、と。
要するに「最高の処刑人とは、自らの良心である(但し良心が存在する場合に限る)」って事ですね。
3)デレステとメガネ^o-o^
いやーもぅホントに、今週が久々に「デレステイベントの無い週末」で良かったー。もしイベントがあったら、とてもこんなの書いてられなかったもん。
え?
「デレステの方が大事なのか」って?
当たり前じゃん。
だって、デレステは、私が「好きでやってる」んだよ。だけどこっちは「振り掛かってくる火の粉を仕方なく払ってる」みたいなもんだからね。
さてデレステと言えば、自他ともに認めるメガネフェチである私のイチ推しは勿論「メガドル」上条春菜です!メガネへの徹底的なこだわりが素晴らしい。
なので片瀬氏の事も、メガネ「は」好きですよ(爆)
あと、時東ぁみとかは、伊達メガネだけどこだわりがあるのは解るから、まぁ許す(←偉そう)
だけど、稲田朋美と北条かや、テメーらはダメだ。メガネの風上にも置けねぇ。
という訳で、蛇足にも程があるけど、ひらに御容赦~
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当記事公開後の上海II氏の発言とそれに対する応答について。
返信削除---直接のやり取りはここから---
上海II氏: https://twitter.com/shanghai_ii/status/891661484626853889
>例のtogetterには怒らないのですか? ああいう状態のまとめを容認したまま、コメント欄に書き込むというのはどういう了見でしょうか。ご立腹された相手にはああいう状態を容認するという理解でOKですか?<
PseuDoctor: https://twitter.com/_pseudoctor/status/891711925695856641
>御質問に対する答えは複数用意してあります。しかしお答えは差し控えます。お答えしない理由もまた、複数ございますが、それを推測なさるのは、そちらの自由です。<
上海II氏: https://twitter.com/shanghai_ii/status/891712206676434944
>「ああいう状態を容認する」と理解しました。<
---直接のやり取りここまで---
その後PseuDoctorは2つほど呟いた。これらはいずれも単独の呟きではあるが、上記のやり取りを意識しての発言でもある。
---単独の呟きはここから---
https://twitter.com/_pseudoctor/status/891714509672402944
>聞く耳を持たん人に話す言葉など無い。<
https://twitter.com/_pseudoctor/status/891791421409067008
>言及しなかった事に対して「黙認している」と受け取られる事は、ままある。それこそ「推測は自由」なのだから、ある程度はそう思われるのも仕方ない。 キッチリ説明しようと思えばそこそこできるが、喧嘩腰の相手に対して、議論に向かないとされている場で、それを行う元気は、今の私には無い。<
---単独の呟きここまで---
相変わらずキッチリ説明する気力もやる気も出てこないが「聞く耳を持たん人」「喧嘩腰」と書いた理由だけでも述べておこう。何故ならそれは、返事を差し控えた理由の(全てではないものの)大きな部分を占めているからだ。
もう一度、上海II氏の最初の発言を見て頂こう。
一見すると、質問している様にも見える。しかし2つめの文が「どういう了見でしょうか。」で終わっている。私の感覚では、こういう言い回しはフラットな質問の際には使わない。強い非難か、あるいは最大限柔らかく解釈しても「詰問」の際に使うものだ。また、発言の中でこの文だけ「?」ではなく「。」で終わっている。以上より、この文は「質問の様にも見えるが実質的には非難」である可能性が高いと判断する。
更に、文の構造を見て欲しい。「ああいう状態のまとめを容認したままコメント欄に書き込む」とは「どういう了見でしょうか。」となっている。この書き方だと「ああいう状態のまとめを容認したままコメント欄に書き込む」の部分は、質問の前提、つまり上海II氏にとって「認定済みの所与の事実」だと認識している形になる。この事は、仮に、上海II氏に好意的に考えて「どういう了見でしょうか。」を純粋な質問だと解釈したとしても、同様に成り立つ。
従って「ああいう状態を容認するという理解でOKですか?」という文も、質問の形式を取っているものの、上記の内容を鑑みれば実質的には質問ではないと言えよう。
解り易く言えば、上海II氏は「ああいう状態のまとめを容認した」と、最初から決め付けているのだ。
以上より、上海II氏の発言の大部分は「質問の形式を取っているが内容的には質問ではない」と解釈する。なお最初の質問「怒らないのですか?」に関しても、それは私の内心の問題であるから「答えるのも答えないのも完全に私の自由である」と認識している。
もぅこれだけでも「返事をしない理由」として十分過ぎる位だが、それに加えて、のっけからこういう「質問の振りをした非難」をぶつけてくる相手に対しては「聞く耳を持たない」「喧嘩腰」と表現しても、罰は当たらないだろう。
まぁおそらく上海II氏がいきなりこういう行動に出たのは、彼の片瀬氏に対する愛情の深さ故なのだろうね。その意味では動機は理解できるし、感情論的に言えば、むしろ「深い共感を覚える」と言っても良い。
しかし、それはそれ、これはこれ。
もしも後日、十分に気力と体力が回復し、しっかりと空いた時間が取れ、かつ、それなりに気が向いたなら(形式的な質問だとは思うが)彼の「質問」に対する「複数の」答えと、回答しなかった「複数の」理由を書く事があるかもしれない。
ないかもしれない。
それでも一応、あと2点だけ明確にしておこうか。
1)「とある『まとめ』にコメントしたからといって、必ずしもその内容を全肯定しているとは限らない」。こんな事はPseuDoctor的にはわざわざ言うまでもない当たり前の事だと思っていたのだが、世の中には「全く逆の意味に決め付ける」人も居るのだなぁ。改めて勉強になった。
2)私は本文中では「片瀬氏に多少の同情を覚えます」としたうえで「それはそれとして」と書いている。念の為。
片瀬久美子氏の発言に関して。
返信削除https://twitter.com/kumikokatase/status/891792953101787136
>ある人が、あのTogetterにまとめられた私のツイートが、自分に対する当てこすりだと主張しているようですが(上海さんとのやりとりで知りました)、私はその人をしばらく前からミュートしているのでどんなツイートをしていた知る由もなく、一方的な思い込みです。<
つまり「偶然の一致」という事。私が「最も確率が低い」と予想していた事態なのだと仰る。
更にその事の説明として、上記Tweetに繋げて一連の発言を行っている(なので上記URLを展開すれば一連に繋がっている)。これらを見ると、まぁ一応の筋は通っている様な気もする。
しかしそれでも、少なくとも1つの疑問が残る。
ミュートすると、私がまとめに書いたコメントまで見えなくなってしまうのだろうか?私は他者をミュートした事が無いので解らない。もし御存知の方がいらっしゃれば教えて欲しい。
で、もし、まとめに書いた私のコメントが見える状態だったとしたら、本文中に書いた通り「『まとめ本体のみならずコメント欄まである程度読み込まなければ知り得ない筈の事柄に対して言及している』にも関わらず、私のコメントには気付かなかった」という事になる。まぁ確かに「気付かなかった」と言われてしまえば、もうそれまでだが。
更に片瀬氏はその後、
https://twitter.com/kumikokatase/status/891799688801689600
>思い込みによる一方的な言いがかりに反論するのもバカバカしい<
と発言している。
ふぅむ。私からすれば
1)「僅か1日の間に内容が酷似した呟きがなされた」という客観的な事実を根拠として、
2)片瀬氏が私をミュートしているなどとは知る由もない状況の下で、
3)これが偶然の一致である可能性も含めて考慮したうえで、
4)私の発言に対するものであってもなくても成り立つ問題点まで含めて
述べているのだけどねぇ。
その事は、当記事の本文を読めば(ミュート云々は別にしても)通常の読解力がある人なら理解できる筈だ。しかし片瀬氏はそれを「思い込みによる一方的な言いがかり」であり「反論するのもバカバカしい」とまで言い放つ。
こっちは具体的な根拠とそれなりに合理的な推論に基づいて疑義を呈しているにも関わらず、たった一言で切って捨てる。あぁ、なるほど。「政治家でも行政でもない一個人は『説明責任』を負わない」を地で行っている訳か(爆)
とか冗談めかして書いてるが、結構本気で怒ってる。私がそれなりに魂を削り理を尽くして書いた訴えを「言い掛かり」「バカバカしい」で済ませるのだから。
「対象を明示していないから良い」というものではない。むしろ逆。私側の情報に触れる機会を制限したうえで21000人に対して自分の言い分だけを、それこそ一方的に伝える(詳細は後述する)。そこまでの行為なのに、社会的影響が皆無だとでも思っているのか。普段は人権だの名誉毀損だのと言ってる割に、自分が「やらかす側」に回った途端、この無神経さ。
私にだって人権はあるんだよ。
(まぁ、偉そうに言ったものの、私自身だって、似た様な事をいつかどこかでやらかすかもしれない。なので、もしもそういう場面を見かけた場合には、どなたであっても構いません。なるべく早めに指摘してくださると助かります。宜しくお願い致します。)
では改めて、本当に片瀬氏の言う通り、私の言い分は「思い込みによる一方的な言いがかり」であり「反論するのもバカバカしい」レベルなのか。もっと言えば、私と片瀬氏の言い分のうち
どちらの方が「より客観的な証拠に基づいている」のか。
どちらの方が「より論理的整合性がある」のか。
どちらの方が「より公正かつ公平であろうと心掛けている」のか。
私の側から見れば「これだけ言ってもまだ解らないのか」という段階に達しているのであり、もぅこれ以上は幾ら言い募っても虚しいだけだしSAN値も削られる一方。そこで、上記の最終判断は各々の読者諸氏にお任せしたい。
もう、片瀬氏の発言をチェックするのも完全に止める。少し前からリムーブはしていたが、今後はなるべく発言そのものが目に入らない様にしていこう。
但し、先に述べた通り、最後にもう一点だけ指摘しておく。片瀬氏は、これだけ強い調子で私の事を非難しておきながら、上述の如く、相変わらず「ある人」とだけ書き「誰の発言に対するものなのか」すら明示しようとしない。まぁ片瀬氏の毎度のやり口なので、ある程度は予想出来ていた。とはいえ、これは実際にやられると、結構、精神的にクるものがある。何と言うか「自分の存在そのものを無視されている」かの様な感覚(あ、それで思い出したけど「ID-0」メチャクチャ面白かった~。ここで詳しく書いちゃうと、それこそバカみたいだから、明後日の「週ぷし」のネタにしよ~っと!)。
どうも、ずっと見ているとやっぱり、片瀬氏って、自分が圧倒的に有利な時にはリンクを貼ってでも言及したがるけど、そうでもない時は対象すらボカすんだよね。しょっちゅうこういう事をしているので、その動機に関しても邪推したくなる。
私が最も可能性が高いと考えるのは、やっぱり「自分のフォロワーに見せたくないから」だろうと思う。もしも「PseuDoctor」という名前だけでも出してしまえば、それのみを手掛かりにしても、この記事まで辿り着く事は、さほど困難ではあるまい。しかし片瀬氏のTLしか見ていない大部分のフォロワーさんたち(2017年7月31日付で片瀬氏のフォロワーは21000人を越えているのに対し、私のフォロワーはこの件で結構増えたものの、それでも1930人。単純に考えても片瀬氏のフォロワーの大多数は、私の発言など見てもいない計算になる)にとっては、全く話は別。片瀬氏の、対象をボカした発言だけを見て、それが私の事だと気付く人は(たとえ居たとしても)ごく少数だろうし、それこそが片瀬氏の狙いなのではないだろうか。
あぁ、推測ですよ、勿論。しかし(片瀬氏の意図がどうであったとしても)結果的には、私がすぐ上で述べた様な状況になっている事は、ほぼ間違いあるまい。だからこそ「エコーチャンバーってのは、貴方のTLの事でしょ」とか揶揄したくもなろうというものだ。