コミケを風疹から守り隊

2021年4月7日水曜日

甲状腺癌の過剰診断とスクリーニング効果を理解する為の基礎知識(上)

初回公開日:2021年04月07日
最終更新日:2022年01月26日

(タイトルは田崎晴明先生へのリスペクトです)

もくじ
0.はじめに
1.「がん」の多様性について
1)多様性を決める要素
2)原発臓器について
3)組織型について
4)進行度について
2.甲状腺癌の基礎知識
1)甲状腺癌の大部分は極めておとなしく進行の遅い癌です
2)甲状腺癌のステージ分類(他臓器の癌との比較)
3)過去の膨大な解剖症例から解る、甲状腺癌のおとなしさ
3.過剰診断とスクリーニング効果の説明
1)過剰診断とは何か
2)スクリーニング効果とは何か
3)福島県で甲状腺癌が沢山見つかったのは、過剰診断とスクリーニング効果のせいだと考えられます
4.甲状腺癌にはスクリーニング検査は適しません
1)スクリーニング検査の条件
2)甲状腺癌がスクリーニング検査に適さない理由
3)検診で「見つけてしまった」甲状腺癌の話
4)いわゆる「早期発見・早期治療」のデメリット
5.検査を継続させたいのはどんな人達でしょう
1)政治的立場
2)商売&思想的立場
3)学術的立場
 
0.はじめに

東日本大震災から10年が経過し、徐々にではありますが、福島をはじめとした被災地の復興も進んで来ています。また当初危惧された「被曝による健康被害」も幸いにして無視できるレベルである事が、データの蓄積により繰り返し確かめられてきています。
そんな中、残された課題の中で、個人的に大問題だと感じているものが2つあります。1つは処理水の海洋放出問題、そしてもう1つが今回取り上げる「甲状腺癌の過剰診断(とスクリーニング効果)」です。この2つに共通しているのは「学術的には既に解決済みの問題であるにもかかわらず、社会的・政治的にはなかなか解決に向かわない」所です。そしてそうなっている大きな要因の1つが「正しい情報がなかなか世の中に広まっていかない」事だと考えています。この点に関してはメディアや活動家の責任を大いに問いたい所ですが、そこにかまけてばかりでは解決に向かいませんので「ささやかでも正しい情報を広めるのに役立てば」と思い、過剰診断とスクリーニング効果を理解する為の基礎的な知識を少し書いてみます。
…いや「少し」というには分量が多いのは自覚してますよ。でもね、ここに書いた程度の内容は、本当に「基礎」なのです。私が普段「当然の前提」として使っている知識を脳内から引っ張り出して言語化してみたら、どうしてもこの程度の分量は必要になっちゃうのです。
まぁこういう事を書くと「知識でマウント取ってる」とか言い出す人が居るかもしれませんが、私に言わせればそういう人こそ「素人の立場を振りかざしてマウントを取ろうとしている」のでしょう。「自分達がやってる手法だから、他者もやってる筈」みたいに考えてるのかもしれませんが、筋悪な考え方ですね。

1.「がん」の多様性について

1)多様性を決める要素
皆さんの中には「がんとは死に至る病であり、それ故に見つけ次第退治(治療)すべし」とお考えの方もいらっしゃる事でしょう。しかしそれは必ずしも正しくありません。何故なら一口に「がん」と言っても非常に様々な種類・様々な状況があり、放置していても問題無いものから治療すべきもの、治療効果があまり期待できないものまで多様だからです。こうした「がんの多様性」を形成している要素にも色々なものがあります。個人的に重要だと思っているのは「原発臓器・組織型・進行度(ステージ)」の3つです。何故なら、これらのうちどれか1つが異なるだけでも、がんの性質や状況は大きく変わりうるからです。実際に専門医が症例について述べる際には、例えば「肺の腺癌、ステージ2の症例」という様な言い方をしたりします。こう言えば、上記の3つを、最低限ではありますがコンパクトに一言で伝えられるからです。
ではここで、これら3つについて簡単に説明しておきましょう。

2)原発臓器について
「原発臓器」は原子力発電所とは全く無関係の用語です。「原発」とは「最初に発生した」という意味なので、原発臓器とは「そのがんが最初に発生した臓器(場所)」という意味になります。何故これが重要なのかと言いますと、がんというのは多かれ少なかれ、最初に発生した臓器の性質を引き継ぐ傾向があるからです。つまり原発臓器を知る事は、そのがんの性質の一端を知る事に繋がるのです。
例えば、肺にできたがんであっても、最初から肺に発生したがん(原発性肺がん)と、他の臓器にできたがんが肺に転移してきたもの(転移性肺がん)とでは性質が異なり、それを反映して治療方針にも違いが出ます。

3)組織型について
ここは病理医として私が最も専門にしている所です。ごく大雑把に述べるなら、組織型とは「がんを構成している細胞の種類は何か」となります。最も大きな分類は上皮細胞からなる「癌」と非上皮細胞からなる「肉腫」に分けるものです(詳しくは当ブログの過去記事をご覧ください)。そして癌を更に腺癌、扁平上皮癌、移行上皮癌などに分け、そのそれぞれについて「分化度」の違いによって高分化型、中分化型、低分化型などに分けたりします。そしてこの組織型によって、がんの性質は大きく異なります。
まだまだ書きたい事は沢山ありますが、複雑になるので、この位にしておきましょう。要するに、一口に組織型と言っても、非常に多くの種類があるという事だけでも、知っておいてください。

4)進行度(ステージ分類)について
(お断り:ステージ分類は通常ローマ数字で記載しますが、ここでは読み易さを優先して英数字で書いています)
皆さんが既に御存知の通り、がんの多くは徐々に進行していきます。その為、たとえ同じ臓器に発生した同じ組織型のがんであっても、進行の度合いによって治療方針は大きく異なります。そこで進行度という指標が必要になってきます。一般に、進行度は3つの要素により決定されます。
T分類:腫瘍の大きさや周囲組織への浸潤の度合いを示します。
N分類:リンパ節転移の程度を示します。
M分類:遠隔転移の程度を示します。
これら3つの要素により進行度(ステージ)が決められます。通常はステージ1~ステージ4の4段階に分けますが、臓器によってはステージ1の前にステージ0を置く場合もあります。
但しここで重要なのは「臓器によって基準が変わる」点です。つまり、T・N・Mが同じでも臓器が異なればステージが変わってくる場合があるという事です。この点は覚えておいてください。

2.
甲状腺癌の基礎知識

1)甲状腺癌の大部分は極めておとなしく進行の遅い癌です
甲状腺癌の大部分を占めるのは組織型が「乳頭癌」と呼ばれるタイプ(癌細胞が乳頭状に増殖するのでこう呼ばれます)です。この乳頭癌は特に進行が遅く、かつ、進行していても予後が良い癌です。
一方で、少数ですが、組織型が「未分化癌」という極めて悪性度が高く予後の悪い癌も存在します。これらの違いは甲状腺エコーだけでは解りません。針を刺したり切ったりして細胞や組織片を採取し、それを我々病理医が診断することで、はじめて解ります。

2)甲状腺癌のステージ分類(他臓器の癌との比較)
上記の特徴を反映して、甲状腺癌ではその組織型によってステージ分類が大きく異なります。これは他臓器の癌にはあまりみられない特徴です。
具体的に述べます。乳頭癌は55歳以下であれば、たとえ癌が大きくなって甲状腺周囲の臓器に食い込んで(浸潤して)いても、どれほどリンパ節転移があったとしても、ステージ1です。これは他の臓器で言えば「早期癌」に相当します。遠隔臓器への転移があって初めてステージが上がりますが、それでも「ステージ2」です。つまり55歳以下の乳頭癌にはステージ3やステージ4は存在しません。
逆に、未分化癌は前述の如く非常に悪性度が高いので、どれほど小さくても、転移がゼロであっても「全例がステージ4」になってしまいます(つまり未分化癌ではステージ1~ステージ3は存在しません)。詳しくは、こちらのHPを参照してください。
これらを他臓器の癌と比較してみましょう。例えば大腸癌では、リンパ節転移が1個でもあればステージ3です。一方胃癌では、癌が小さくてリンパ節転移が少なければステージ1、癌が胃の壁を突き破って他臓器へ浸潤する位になれば(リンパ節転移が無くても)ステージ3、癌が小さくてもリンパ節転移が多ければやはりステージ3です。肺癌のステージ分類も胃癌と似ています。そして大腸・胃・肺のいずれでも遠隔転移があれば(腫瘍の大きさやリンパ節転移の有無に関わらず)全てステージ4です。
以上より、甲状腺癌はかなり特殊だといえます。
最も重要な点を繰り返しておきましょう。甲状腺癌においては、55歳以下の乳頭癌なら「浸潤していてもリンパ節転移があってもステージ1」です。これは、たとえ医者でも甲状腺を専門にしていない人は、案外知らなかったりします。しかし甲状腺癌を専門にしている医者の間では「常識」です。嘘だと思うなら、日本中で甲状腺癌を専門にする医師が使っているこの本とか、世界中の腫瘍専門医が使っているこの本で確認してみれば良いでしょう。誰でも買えます。

3)過去の膨大な解剖症例から解る、甲状腺癌のおとなしさ
前項で、甲状腺癌の多くは非常におとなしく進行も遅いことを述べました。その事を別の面から傍証したのが「病理解剖症例の研究」です。様々な病気で亡くなった方に対して、直接死因や治療効果などを調べる目的で(遺族の許可を得て)病理解剖を行う場合があります(これも我々病理医の仕事です)。そしてその際に、生前には完全に無症状であり、それ故に医者も本人も存在を知らなかった甲状腺癌が偶然に見つかる場合があります。その頻度は報告者により差がありますが、こちらの論文にある世界各地からの報告を見ますと、少ない場合でも20人に1人、多い場合では何と3人に1人以上の症例で見つかっています。繰り返しますが、これらの症例は全て「甲状腺癌以外の原因で亡くなった方」であり「生前には甲状腺癌の存在は全く知られていなかった」人達です(この論文には更に重要な情報が含まれていますが、それは後半に改めて取り上げましょう。余裕がある人はリンク先を熟読してみてください)。
以上より、実は昔から「死んでも悪さをしない癌」の存在は知られていました。より詳しく言い換えれば「結果的に(別の原因で)死ぬまで放置していたけれども、最後まで無症状だったし、勿論、命にも別状なかった癌」という事です。既に名前も付いており「ラテント癌」と呼ばれています。これは甲状腺癌や前立腺癌が有名です。逆に、胃癌や大腸癌や肺癌では、そういう事は殆どありません。これらの事実からもやはり、甲状腺癌の特殊性が浮き彫りになってきます。

(暫定版ですが後編(下)を公開しました。こちらをご覧ください)

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