コミケを風疹から守り隊

2010年12月4日土曜日

S01-04: 科学の特徴

初回公開日:2010年12月4日
最終更新日:2010年12月4日

前回までの記事(S01-01からS01-03までの記事)で「科学の最大の目的(の1つ)は知的好奇心に応える事にある」「その為には得た知識を共有するのが便利である」という話をしてきました。以上をまとめると、極めて大雑把なPseuDoctor流オレ様定義ではありますが「科学とは知的好奇心に応える為に知識を共有して増大させ、その結果として人類の発展に貢献していくシステムである」と定義しても、まぁ大抵の場合は良さそうです(もっと上手い言い方があったら、誰か教えて欲しいです)。
そこで今回は、そのシステムを最適化させる為に何が必要かを考えてみましょう。それがそのまま「科学の特徴」になると思います・・・なればいいなぁ。

まず「知識の共有」ですが、これって、一方通行であってはいけないのですね。何と言うか、上記の定義を見て、巨大デジタル図書館の様なデータベースシステムを想像された方もいらっしゃるとは思いますが、図書館と科学とでは、決定的に違う部分があります。
それは「情報の発信者と受け手を区別しない」という点です。図書館では書架に並んでいる本と読み手とは明確に区別されています。勿論、図書館の本を調べて新しい本を書き、それが図書館に並ぶという事もありますけれども、それは例外ですよね。
しかし科学の世界では情報の発信者と受け手は同一の土俵にあります。誰もが情報の受け手であり発信者になりうるのです(トンデモさんには受け入れ難い事実かもしれませんが)。その意味では、図書館よりもむしろネット世界におけるWikiなどの様な「集合知」に近いイメージかもしれません。

しかし「集合知」だとすると今度は、情報の正確さを誰が保証するのかという問題が生じます。「ネット情報は玉石混交」だというのは今更言うまでもない事実ですが、それは、正確さの保証が存在しない故だとも言えます。
では、科学の世界では何が正確さを保証するのでしょうか。誰か偉い先生が正しいかどうかを決めるのでしょうか。それとも学会が決めるのでしょうか。
違いますね。
別に、神の如き絶対的な審判が存在して、その人(たち)が正しさを決める、というわけではない。そんなのは科学ではない。(但し表面的には「偉い人が決めている」様に見える場合があるかもしれません。しかしそれは別に恣意的に決めているのではなく、偉い人は、以下に述べる要素によって決められた事を「知っている」というだけの事です。)
さて、では何が正確さを保証するのでしょうか。

それは「証拠(根拠)」と「他人の眼」です。
どれほど魅力的な内容であっても、根拠を提示できなければ、単なる「面白い話」で終わってしまいます。あるいは「こうすれば証拠は見つかる筈」というところまで話を持っていけば、もしかしたら、誰か奇特な人が証拠を見つけてくれるかもしれません。
勿論、誰も協力してくれないかもしれません。その場合は「面白い話を言った人」で終わってしまいます。それが嫌なら証拠を見つけるしかありません。自分自身で、あるいは他人の助力を仰いで。
「先に言ったモン勝ち」は許されないのです。

さて、何でもいいからとにかく証拠(根拠)を提示できさえすればそれでオッケーかと言うと、そんな事はありませんね。その証拠が、正しさの根拠として充分な強さを持っているかどうかが問題になります。その場合に「他人の眼」が重要になってきます。つまり、自分が幾ら「これが証拠だ」と力んでみても、他人がそれに同意してくれなければ、証拠として認められないという事です。
但し、これは証拠の採用を多数決に頼るという意味ではありません。多数派が常に正しいとは言えないのは、歴史が示しています。では、この場合の「他人の眼」とは何を意味するのでしょうか。

それは「誰でもいつでも見る事が出来る」という意味です。主張者以外には証拠を見られない、なんてのは論外ですが、限られた人しか証拠を見る事が出来ない場合でも、その信憑性には疑問符が付きますね。また、ほんの一瞬だけ情報を公開して「ほら見せたよ、もういいだろう」なんてやっても、二度と見られないのでは、やっぱり信用できません。
そして、この様に証拠の情報が共有化されるならば、その証拠を用いた検証が誰にでも可能になります。勿論、お金・時間・技術などの問題はありますが、重要かつ説得力のある情報であればあるほど、検証したがる人も増えるでしょう。こうして多くの人が繰り返し検証していくほどに、情報の正確性は増していくのです。勿論その過程で、情報が修正されたり捨てられたりする事も起こるでしょう。むしろ、そういう事が起こるからこそ、正確性が増していくのだとも言えますね。

これを一言で表現するなら「正確さの保証には客観性と再現性が必要」となります。

以上をざっくりまとめると「科学とは一種の集合知であり、その正確さは客観性と再現性を持った証拠の存在により(漸増的に)保証される」となります。

しかしそれでも「俺は科学が正しいなんて信じない。科学者なんて嘘ばっかり言ってる。みんな騙されてるんだ」と言い張る人もいるでしょう。バッサリ切り捨てる様な言い方をさせてもらえば「事実よりも信念を優先させている時点で、科学の正当性について語る資格は無い」と思うのですが、それだけで済ませてしまっては本人も納得出来ないでしょうね。
そこで、次の記事(S01-05)では「ある知識を得た時に、個々人がその知識を『正しい』と判断するとは、どういう事か」を考えてみたいと思います。

ああ、こうやって少しずつ予定がズレていく・・・(笑)

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2 件のコメント:

  1. こんにちは。PseuDoctorさんの仰ることは、理解できます。私も、「科学者は嘘ばかりで一般市民を騙している」とは考えていません。
    しかしながら、一部の厳しすぎるニセ科学批判者の存在を、どう見るべきでしょうか?
    ニセ科学に少しだけ寛容な発言した一般市民を、必要以上に批判して萎縮させてしまう一部のニセ科学批判者。
    その相互理解を無視した姿勢を、どう捉えるべきでしょうか?

    ちなみに私は、サイエンスライターの鹿野司さん風に、考えています。「ニセ科学?まあ、いいんでないの。もう、社会に広まっちゃったことだし。まあ、本当に危なくなったときは、苛烈な批判者が私を救ってくれるでしょ」

    そもそも、ニセ科学批判なんて必要ないのでは?所詮、相手は子供騙しの幼稚なインチキですよ?極東ブログの人も、過去にそんな感じの記事を書いて余裕を見せていました。

    そう言えば、Chromeplated Ratさまのネット記事、『科学の「使い出」』のコメント欄でも、「アカデミアの宣伝下手は科学者に限った話ではない。どの専門的な職業に対してもあること」という感じの、お話が出ていました。
    これを分かりやすく解釈すると、次のようになります。「そこの白バイさん、なぜ私だけ捕まえるの?他のみんなも、スピード違反をしてるでしょ?他の全ての違反者をとっ捕まえてから、私を捕まえなさいよね」

    ポケットマネーで科学に従事している人は兎も角、税金を使って仕事をしている人には、一般大衆に科学を啓蒙する義務なんかありません。
    ましてや、ニセ科学に対抗する言論を税金で働いている人たちに期待するなんて、筋違いもよいところです。

    私が学者たちの本音を、漫画の「ドクターK」風に代弁してあげましょう。
    「なんの科学知識も無い、なんの科学的貢献も無い、ただ科学の恩恵に預かって暮らす、お気楽な一般市民たち。」
    「そんな科学リテラシーの低い人々が、ニセ科学の被害に遭って少々泣いたところで、世の中たいして変わりませんよ。」

    ・・・極東に聳える、科学文明社会。空から降ってきた、高度科学文明社会。永遠の安泰が約束されている、平和ボケの地。だから、ニセ科学など放置しても大丈夫!だって今までが、そうでしたから!

    ええ、私の意見は、ニセ科学批判批判的には間違っていないで御座いますでしょう、ニセ科学批判に自己言及するPseuDoctorさん(^-^?

    返信削除
  2. こんばんは、TAKAさん。いつも有難うございます。
    確かに「ニセ科学批判批判的には間違っていない」御意見ですね(笑)。

    さて、ニセ科学批判を何の為に行っているのか、そして、その目的に少しでも近づく為のより良い方法は何か、という事は折に触れて考えておくべき問題だと思います。
    勿論、人によって目的は少しずつ異なりますので、もしかすると中にはdisる事自体が目的化している人がいるかもしれませんね。でも、私はあまりそういう方とはお近付きになりたくありません。また、出来うるならば、ニセ科学批判批判の方々にも、自らの動機や目的について考えて頂きたいものだと思います。
    次に、目的が明確になったとして、その目的を達成する為であっても、やはり手段は選ぶべきでしょう。世の中には「目的が手段を正当化する」という考えの人もおられる様ですが、私はそうした立場を取らないつもりでいます。

    要するに、常に模索の連続と言いますか、日々是精進という感じですね、私は(^^ヾ

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